12

 

 風が止み砂漠は森閑としている。全ての音を柔らかな砂が吸い込み、紡樹は自分の呼吸しか聴こえない事に不安を感じる程だった。それが続いたのはほんの数秒だったが、彼は世界の息吹を確かに感じた。

 紡樹は歩き始める。だが彼は自分が眠っていた場所の近くで何か光っているのを見付け、駆け寄った。彼はそれが風音から貰ったラピス・ラズリである事に気付き、拾い上げようとして手を止める。

 

「The world loves you」

 

 何だ、この文字は? 石に添えられるように砂の上にはっきりと書かれている。俺以外にこの場所に誰かがいた形跡は無いから、眠っている間に俺が書いたのか。風音の気配を感じていたと言っても、それは夢の中であって彼女が此処で砂に文字を書ける筈が無い。

 陳腐に言えば奇蹟、なのかも知れない。俺がこうして今も生きているのも、これからも生きていこうと思えるのも。でもそれらは、起こるべくして起こった事で、謙虚に考えれば俺はやはり生かされているのだ。

 両親が居なければ、周りの人間が居なければ、そして風音が居なければ俺は今生きていない。ありがとう――

 

「I never forget」

 

 紡樹は砂の上にそう書き足し、岩山に背を向けた。太陽がその姿を完全に現し、眠りに就いた灼砂を再び灼き始めるが、紡樹は怯む事無く光へと歩いて行く。

 地平から生まれた焔はやがて空の蒼へと生まれ変わり、新しい朝の到来を告げた。紡樹はダイナミックに変化していく空の色に心を奪われながらも、しっかりと砂を踏み締める。

 日が目線よりも高くなり額に汗が浮かび始めた時、紡樹はようやく立ち止まった。そして彼は無言で蒼穹を見上げる。

 

 俺は今まで、澄み渡る空の蒼さにも気付かずに生きて来たんだな。

 空は傷付いた心を包み、癒す為にあるのかも知れない。

 

 彼は何処か満足そうに微笑み、汗を拭って再び歩き出した。

 それから暫くして始発の航空機が徐々に高度を下げているのが遠目に見え、紡樹は視認される筈も無いのに無心に手を振った。

 乾いた風が紡樹の髪を揺らし、降り注ぐ光が胸元のペンダントを輝かせる。彼はラピス・ラズリを首から外し左手で握り締めて駆け出した。航空機が着陸したであろう方角へと。

 砂漠には彼が歩んだ跡が残るが、風が吹く度に少しずつ消えていく。それでも彼の歩みそのものは消えはしない。

 

 紡樹は風と共に走る。未来を紡ぐ為に。

目次 第四章-1