第四章 紡がれる永遠の風

 

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 窓から一日の始まりを告げる真っ白で眩い光が射し込んでくる。その光は降り積もった雪の煌きも吸収して、いつもより強い光となっている。レースのカーテンによって抽象画のように砕かれた光はベッドの上で眠る風音の顔に複雑な陰影を作った。

 

「紡樹――」

 彼女は呼び掛けるようにそう呟き、ゆっくりと瞳を開いた。夢で見ていた風景との乖離に彼女は一瞬自分が何処にいるのか判然としなかったが、ベッドから離れた窓際に置いた筈のラピス・ラズリが床に落ちているのを見て、風音は自分に起こった事を理解した。そして頬の涙の跡を拭いながらゆっくりと上体を起こした。

 

 ――私は泣いていたのね。夢の中だけじゃ無くて現実でも。

 夜の砂漠で倒れている紡樹の手を取って温かみを確かに感じたのは、夢のような想像の中での非現実なんかじゃなくて、私に実際に起こった事なんだ。それがどういう方法で実現したのかを説明する事は出来ないけれど、私の意思とも言える何かはこの部屋を離れて紡樹に会いに行ったんだ。

 紡樹は必ず帰って来る。私は彼の生きようとする強い心をはっきりと感じたから。もしかしたら私の想像を越えた何かが私の祈りを聞き入れてくれたのかも知れない。ううん、やっぱりそれは正確な表現じゃ無い。上手く言えないけど紡樹も私も何か意志のようなものに生かされているのだと思う。もっと生きろ、生きていて良い、そんな強い肯定を私は紡樹に会いに行った時に感じたから。

 

 彼女はベッドから抜け出し、床に落ちた石を拾い上げる。石は昨日までと何ら変わっていないように見えるが、不思議な事に人肌と同じぐらい温かかった。

 石の神秘性を確かめようとするかのように、窓のカーテンを開けて石に光を当ててみた。だが石は徐々に温もりを失い、唯の冷たい鉱物にしか感じられなくなった。視線を上げると、純白の真新しい世界が曇った硝子越しに見える。

 

 ――何処までも透き通った光。

 私の心の奥底にあるじめじめした暗い部分にまで届いて、暖かく穏やかな風が其処に吹き渡り、私の弱さや絶望から生まれた心の闇が跡形も無く消え去っていくような気がする。

 私は……、ようやく長い眠りから醒めたのかも知れない。

 

 風音は部屋の隅に置かれた、ゴシック調の金属装飾が施された楕円形の姿見の前に立ち自分の顔を見詰める。其処に映っているのは充血した双眸を真っ直ぐに向けた自分の顔だったが、いつもの物憂げさは無く何処か晴れ晴れとした雰囲気を発していた。

 

 紡樹は生きていて、私も此処に居る。そして私達はこれからも一緒に歩んで行く事が出来る。その事を確信出来たから私はこんな表情が出来るようになったの?

 私が朝一人で鏡に向かって、こんな表情をしていた事なんて今までに一度も無かった。周りの人間に良い自分を見せようとする反動で疲れていて、深い闇を私一人で抱えていかなければならない事への苦しみが滲み出していたのに。私はこんなにも穏やかな顔を持っていたんだ。

 

 風音は微笑みを浮かべながら、生まれ変わったかのような自分の顔を眺めていたが、姿見の自分に激しい寝癖が付いている事に気付き浴室へと走った。彼女は、昨晩は疲れ果てて入浴は愚か夕食を摂る事さえ出来なかった事を思い出して苦笑する。そして今日が日曜日である事に感謝しながらシャワーを浴び、いつもより沢山の朝食を食べた。その後、彼女は食器を洗いながら、自分の心が跳ねて躍るように軽やかなのを感じ呟く。

「寒いけど、折角だから雪景色を堪能しに出掛けよう」

 こんな良い日は家でじっとしているのは勿体無いわ。久し振りに降り積もった雪の写真でも撮って、紡樹が帰って来たら見せてあげよう。

 

 風音は身支度を整え、小さな鞄にデジタルカメラを入れて外へと続く扉を開く。そして、無垢な光の中へと嬉しそうに駆け出していった。

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