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 純白の月光を受けた砂塵が一陣の風に舞い上げられ、眠る紡樹を通り抜けていく。風は何処からともなく生じ勢いを増してやがて消えるが、それがいつ何処で生まれたのかは、誰にも分からない。人が生まれ、死に往く理由が分からないのと同じように。

 紡樹が眠りながら身を捩り、指先が熱を失い眠りに就いた灼砂に埋もれる。彼は灼砂と、この世界と繋がっており、彼と世界を分かつものは何も無い。世界は生きる者だけでなく、かつて生きた者をも隔てなく包み込んでいる。

 彼は知識としてでは無く、それを「実感」する。

 人は生きる上で必ず絶望を味わう。どれほど満たされた人生を送っても、最後には体と心のコントロールを失って自己が消滅する。その事に僅かでも絶望を感じない人間は居ない。だからこそ人は生きる為に「希望」を生み出したのだ。死に対しては永遠という概念を、不幸な日々に対しては幸福な未来を。しかし人は希望を生み出したが故に、希望が叶えられない場合には「絶望」に陥る事になった。

 希望と絶望の大きさは比例する。心の底から願う希望が打ち砕かれると、心には大きな穴が穿たれる。その穴を塞ぐのは新たな希望であり、それを持つには弱い自分に打ち克つ強い意志が必要なのだ。

 

 月光に洗われた砂漠の上を、強い風が砂を巻き上げながら駆け抜けていく。

 風は別の風と重なり合い、あらゆる方向へと分かれていく。ある風は海を渡り陸を奔り、やがて夜の底で煌々と光を湛える街に流れ着くだろう。

 

 風は遠く、気の遠くなる程遠くへと運ばれていく。

 地上を彩る光。人々が暮らす街では、夜の底でも光が絶える事は無い。天穹から吹き下りた凍て付く風が粉雪を牡丹雪へと変え、無機質なアスファルトの街を真っ白に凍らせる。

 陽光を静かに待つ窓辺の向こうで、微笑んでいるような寝顔を浮かべた女性が真っ白な布団に包まって眠っている。両頬には薄っすらと涙が流れた跡があるように見えるが、月光で微かに浮かび上がるだけではっきりとは分からない。

 彼女は寝返りを打ち、胡桃色の長い髪が布団に不規則な波紋を作る。月影に浮かび上がるその漣は、一人の人間がこの世界に及ぼす影響の大きさを暗示している。

 人は一人で生きられない。人は誰もが不完全で、だからこそ人を必要とする。そうして人は不完全さを補い合い、成長していくのだ。

 互いを支え合う事で辛うじて立ち上がった二人は、やがて手を取り歩み出すだろう。

 

 灼砂の上空に浮かぶ真っ白な月に薄っすらと雲が掛かり始めた。真っ直ぐに降り注いでいた月明かりは薄雲によって大きく広がり光のカーテンを作る。カーテンの下では、ある者は眠り別の者は目を覚ます。そしてある者は生き、その者を生み出す為に命は失われてきたのだ。現在とは過去が求めた結果であり、未来は今が必要とする事で紡がれていく。

 

 そして、世界は今を生きていく者を必要としている。

目次 第三章-11