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 夏の終わりはいつも心が震えるような物悲しさと、過ぎ去りし者へ縋りたくなる感覚に似た焦燥を感じる。紡樹は心が蝕まれているのを自覚しながらも、その感覚が変わらない事を不思議に思った。

 山は赤く色付き始め、朝は芯から冷えるような寒さへと変わっていった。

 この家は一人では余りに広く、紡樹は世界から見放されているような気さえしていた。彼は食欲すらまともに感じなくなり、最近はゼリー状の直ぐに食べられる食物で朝食を済ませ家を出る。駅に続く坂を下っていると、幼児を乗せた自転車を母親が苦しげな表情で漕いでいる光景に遭遇した。幼児の服装からして、母親は保育園に娘を預けに行く所なのだろう。

 娘の為に無条件に力を尽くし続ける母親と、生きる事を覚えたばかりの幼い子供を前にしても、紡樹の心に光は射さない。彼は目の前で起こるあらゆるものに対してネガティブな発想しか出来なくなっていた。

 紡樹の中に、否定的な言葉が満ち喉元まで溢れてくる。

 

 人は生まれてまず呼吸する苦しさを知る。そして、自らの口を使い栄養分を摂取する。羊水に浮かんでいた間は、呼吸する必要も何かを食べる必要も無かったのに。やがて子供は自らの足で立ち上がり、常に何かを考えながら生きていく事になる。あの子供はまだ、長い距離を歩く苦しさを知らない。だが、いずれ生きていく事は苦しみと満たされないものに対する葛藤に満ちている事を理解する。

 自ら成長し、子を育み、少しでも長生きする事が素晴らしいと思えるのは、人間と言う生命の根幹に刷り込まれた本能だ。しかし、其処から一歩離れ人の一生の始まりから終わりを客観的に見詰めてみれば、生きる意味や幸せが如何に主観的で絶対的では無いかを思い知る。

 この世界の苦しみの螺旋から逃れるには、死しか無い。

 そして死後に救済があるなどと考えてみた所で意味は無い。死の後に待つのは、生きる上でのあらゆる肉体的、精神的な束縛から解き放たれた無だ。生きる事が唯苦しみでしか無いのならば、無に帰す方が良いのでは無いか。救済は無くとも苦しみからは解放される。

 生と死は天秤だ。自身の中で死の重さが生を越えたら、人は耐えられずに死を選ぶ。

 

 紡樹は駅に到着し電車を待つ。この数ヶ月、ホームでは決して一番前には立たないようにしている。無意識に一歩踏み出すのを防止する為だ。電車が近付きホームに到着するまでの間は、ヘッドフォンから流れる音楽に集中し、仕事用の本から視線を逸らさないようにする。それでも紡樹は呼吸が荒くなり、汗が全身から滲み出す。

 目の前には死への入り口があるのに、どうして皆平然としていられるのだろう、という疑問が紡樹の脳裏に何度も去来する。

 何とか電車が到着するまで遣り過ごし、額の汗を拭って紡樹は電車に乗り込んだ。彼はようやく束の間の安堵を得る。此処ではホームに飛び降りられず、衆人環視がある事により自らを衝動的に死に追い遣るのを防いでくれるからだ。

「これで少なくとも仕事が終わるまでに死ぬ事は無い」

 彼は心中でそう呟き、二、三度深呼吸した。その後、紡樹は何気無く吊り広告に目を遣る。大抵は、過激な活字の躍る週刊誌、スマートな印象を受ける人材斡旋会社、如何にも凄そうに見える新商品の広告だったが一つだけ他とは違う異色のものがあった。それは悠久の時の中で灼熱の太陽に焼かれた、赤錆色の荒漠たる砂漠が全面に広がる広告だった。紡樹の視線はそれに釘付けになり、彼は身震いして唾を呑み込む。

 広告の中央には、「日常から抜け出し大自然へと還ろう」という文字が躍っている。彼は右下に記された旅行会社を記憶した。

 

 砂漠か。焼け付く砂と岩だけの世界なのに、俺は何故こんなにも惹かれるのだろう。

 人生を終わらせるなら、あんな場所が良い。

 誰にも看取られず、誰にも迷惑を掛けない。太陽と月の光に照らされ、長い時の流れの中で砂漠に消えてゆく。あたかも俺は最初から存在していなかったかのように。

 

 紡樹は恍惚とした笑みが浮かぶのを辛うじて抑える。

 彼は知らない。死に強く惹かれる者程、生にも強く執着がある事を。生死について深く考えれば考える程、より執着が増す事を。

 

 両者の重みが増すにつれて天秤の揺れは増幅し、やがて片方に急激に傾いていく。

目次 第一章-13