第十三節 磔柱(けっちゅう)

 ハルメスは、自室の外に設けられたバルコニーに立っていた。冷たく澄んだ空気をゆっくりと吸い込む。すると、思考能力が研ぎ澄まされるのだ。彼は胸に手を当てる。自分の中に居る恋人と対話する為に。頬を撫でる風を感じながら、彼は目を閉じた。

「ティファニィ、俺は決めたよ。最後は、弟の為に生きる事を」

 俺は十分に幸せだった。ティファニィと暮らし、今も心は共にある。

 星が流れた。お前は流れ星が好きだったな。その時部屋のドアを控え目に叩く音が響く。

「眠れないのか?」

 俺はドアを開け、開口一番そう言った。ルナだ。こんな時間にどうしたのだろう?

「いえ、無性に兄さんと話がしたくなって……」

 俺の意思をルナが知る筈は無い。だが、此処に現れたと言う事は何らかの「違和感」を察知したからでは無いか。否、考え過ぎだろう。

 俺達は並んでバルコニーに立つ。眼下に見える街の明かりは疎(まば)らだ。時刻は午前三時。

「兄さん、私達が今此処にいるのは偶然では無く、運命のような気がしませんか?」

「そうだな。運命と言っても差し障りは無いが、『今』は過去の俺達が切り開いた未来だ。決して、誰かの力によるものじゃない」

 運命と言う言葉は余り好きじゃ無い。運命は、自分の手の届かない所で定められ、自分の力ではどうにもならない事だ。その言葉を多用する事は、諦観と同義だと俺は考える。

「……確かにそうですね。天界に自由が訪れたのは、兄さんが戦い、それを私が受け継いだから。そして今の私達が存在するのは、過去の私達が何者にも屈せず戦ったからです。これからも私達は結束して戦い、未来を創るのでしょう」

「ああ、それが俺達の絆だ。何よりも強く、掛け替えの無い……」

 俺はルナの肩を叩く。ニッコリ微笑む弟。昔の面影がまだまだ残ってるな。

 ティファニィとの事は、戦いが終わった後で話すと約束していたが、俺は「今」話す事にした。これは、俺とティファニィ両方の意思だ。俺は彼女との出会いから話し始める。

 そう、あれは堕天して三日後の事だった。彼女は、ガレット(煙草栽培で有名。後にフィグリルに吸収され、今はその名は存在しない)と言う村で魔への生贄として捧げられようとしていた。俺は、反射的に魔を倒し彼女を助ける。

 その後俺は、食糧と寝床を得る代償に村を守った。それは生きる為には仕方無い選択で、人間を対等に見ていた訳では無い。だが村人達に接している内に、俺の人間に対する偏見は消えた。ティファニィは凛(りん)として美しく、正義感が強かった。俺は彼女の家の一部屋を借りて暮らしていて、彼女と接する時間が長かった。彼女に惹かれるのも無理は無い。

 俺は彼女と結婚し、魔と戦いながらも幸せに暮らした。しかし、それは長くは続かなかった。狡猾(こうかつ)な魔が彼女を連れ去ったのだ。魔は俺の死と引き換えに、彼女を解放すると言った。俺がそれに応じようとすると、彼女は自らの命を断とうとした。予想外の出来事に油断した魔を始末した後、俺は天使の指輪を使い彼女を蘇生した。その時に、俺のエファロードの力も覚醒する。その後は二人で、張りのある生活を送った。

 ティファニィが寿命で死を迎えた時、俺は彼女の魂を自分と同化させた。彼女が、「あなたが死ぬまで、共にこの世界に居る」と言ってくれたからだ。

 ルナ、お前とシェルフィアの幸せは俺が守る。だから心配するな。

「それが……、俺の背負うべき十字架だ」

 思わずそう呟いてしまった。十字架……、それは古来の神と獄王にとって、献身の象徴。唐突な言葉でルナが首を傾げている。それで良い。お前は知る必要が無い。最後の時まで。

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