【第四節 与えられた試練】

 

 深淵なる闇、一寸の光さえ無い。在るのは私達のみ。

 私は深く息を吸い込んだ。通常、無の中で呼吸など出来る筈も無いが、この五感は造られたものなので、自分の思うように振舞う事が可能だ。

「(フィアレス、戦闘は以前と同じように定められたパターンで行う)」

「(解ってる、心を読まれるからね)」

 会話は全て『転送』で行う。剣と鎧に変化した二人は言葉を発する事は出来ない。

「(俺は、攻撃を受ける際に神術を全解放してお前を守る)」

「(はい、お願いします)」

 無音、聴こえるのは自分の鼓動のみ。緊張が高まる。

 

「(来た)」

 

「死しても、無駄な足掻きを止めないようですね」

 白い肌、白いローブ、腰まで伸びた銀の髪。潔癖なまでの美しさと、閉じられたままの瞳……。更に、彼女の性格まで忠実に再現されている。

「(やっぱり凄いね、僕達のご先祖様は)」

「(ああ)」

「(無駄口を叩いている暇は無い、来るぞ!)」

 

「苦しむ暇すら貴方達には与えません」

 無数の白光が私達を包む!私はパターン通り、星剣フィアレスに『光』を込めた。フィアレスが『光』に『闇海』を融合させ、極術『光闇』を生成する。

「切り裂け!」

 私は剣を全力で振り抜く!

「パァァ……ン!」

 白光の包囲網を全て破壊した。追撃だ!

 私は剣を更に強く握る。だが、

「スッ」

 シェ・ファは既に目の前にいて、彼女は『純白の剣』を振り終えていた。

「私の攻撃を弾くだけで全力を使うのに、私を倒せると思いますか」

 剣が折れ、鎧が砕ける。私の胸から噴水のように血が噴き出す……

「無駄な言葉を省き私が戦闘に専念すれば、貴方達が私に極術を使うのは不可能です」

 私は既に死んでいるのに、何だ……このリアルな……苦しみは……

 感覚が消え、意識が消える。このままでは、勝てる筈が無い。

 

 死んだと感じた瞬間、私はシェ・ファと戦う前の状態に戻っていた。虚像に殺されても私が消滅する訳では無い事は解ったが、あの死の苦しみは本物と変わらない。一体此処で私は何万回死を体験するのだろう、と思うと憂鬱になったが、シェルフィアとリルフィの顔を思い出すと元気が出た。

 三人共暫く黙っていた。兄さんとフィアレスも同様に、繰り返されるだろう死の衝撃を咀嚼しているようだ。

 最初に言葉を送ったのはフィアレスだった。

「(全然駄目だね、とりあえず作戦会議だ。元の姿に戻ろう)」

 彼の声と共に、兄さんも元の姿に戻る。

「人間界を監視していた神々に話は聞いていたが、あれ程絶望的な強さだとはな。力、スピード、術、何一つ俺達は太刀打ち出来ない」

 私達は黙り込む。思えば、シェ・ファを封印出来たのも奇蹟だ。彼女が先程の様に、攻撃の手を緩めず連続攻撃を仕掛けて来ていたら封印など不可能だっただろう。

「兄さん、私が器となり魂界のエネルギーを受けられれば、彼女と同等の力を持てるのでは?」

 私がそう言うと、兄さんが首を振った。その筈では無いのか?

「エネルギーを受けた瞬間、お前の肉体が崩壊する。そして、魂界も消えるだろう」

 やはり、『肉体』ではエネルギーを受ける事が出来ない。もっと高次の器で無ければならない?

 私はその時、シェ・ファの言葉を思い出していた。

 

「生命には二種類のエネルギーが備わっている事は御存知でしょう。一つは物体エネルギー。もう一つが精神エネルギーです」

「精神エネルギーは、物体エネルギーよりも高次なエネルギーです。精神エネルギーによる神術や魔術が、物体を攻撃するのは簡単ですが、その逆は限りなく大きな力を消耗します。只の剣が、神術そのものを掻き消す場合を考えればお解りでしょう」

「『精神体』は、精神エネルギーの結晶です。この星に存在する精神体は私のみ。無論結晶である以上、内蔵しているエネルギーは貴方達の比ではありません。人間と貴方達の精神エネルギーの差など、私からすれば瑣末なものです」

 

「精神体、私が精神体になる」

 

「その通りだ、お前は『肉体』で転生するが、シェ・ファとの戦いの直前、『精神体』へと変化する」

 動悸が止まらない。私は精神体になったらどうなる?

 その前に、どうやって精神体に変化する?

「肉体を、精神体に変化させる媒体が現世に一つだけある。所在も判明している。それを使うんだ」

 待て、その前に……

 

「何故私が選ばれたんですか?精神体になるだけなら私以外でも!?」

「落ち着いて聞いてくれ、ルナ」

 兄さんが私を抱き竦めた。だが、私の動悸が止む気配は無い。

 

「確かに精神体になるだけなら、俺でもフィアレスでも可能だ。精神体になれば、魂界のエネルギーを受ける事も不可能じゃないだろう。問題はその後だ」

 その後?

 シェ・ファとの戦闘時、否、倒した後か?

「何とかシェ・ファを倒せたとしよう。その時、魂界は何処にある?」

「存在しないでしょうね」

 私は咄嗟に答えていた。それは明確だからだ。

 

「今いる魂界は消えるだろう。だがたった一人、精神体になる事により、魂界を再構築出来る者がいる。それがお前なんだ、ルナ」

 

「私が?」

 そんな事は知らない。初めて聞くし、神として継承した記憶にも存在しない。

「これを見ろ、ルナリート」

 フィアレスが中空に文字を描く。古代語で……

 

「Luna」

 

「この言葉の意味は、転生する迄に必ず理解するだろう」

 Luna、私の名前の一部。そして、『月』を意味する。そんな事は昔から知っていた。だが引っかかる。古代語の「Luna」には別の意味が存在していたような気がする。私は読んだ書物は一言一句記憶しているが、Lunaの別の意味は思い出せない。書物には書かれていないのだろう。だが、妙に懐かしい言葉だ。

 もう少しで思い出せそうな気がするが、暫く時間がかかるだろう。

 

「ルナリート、今はシェ・ファとの戦闘で勝機を見付けよう。奴が封印から覚めるまで時間は僅かしか無い」

「あ、あぁ。解った」

 考え事をしていたので曖昧に頷く。確かにフィアレスの言う通りだ。一番重要なのは、誰が精神体になるかでは無い。如何にしてシェ・ファを倒すかだ。彼女が再び人間界に現れるのは、二年後では無く明日かもしれないのだ。

 

「次からの戦いは、ルナを擬似的に精神体に変換して行う」

 兄さんの声、その声が響いた瞬間、私の中に洪水の如くエネルギーが流れ込むのを感じる!

「熱い!」

 私は半狂乱になり叫び、体の中心から焼かれるような感覚の後、気を失った。

 

〜精神体〜

 意識が揺れている。陽炎のように……

 頭の頂から爪先、体の中の隅々まで熱に冒されている。

 段々意識がはっきりしてきた。恐る恐る目を開く。

「(気分はどうだ)」

 これは兄さんの意識の声、私は他人の意識を掬い取れるようになっている。

「体が熱いです」

 その時、ふと自分の指先を見ると『半透明』になっている事に気づいた。だが、意識を指先に送るとくっきりと指が浮かび上がる。精神体は体の密度まで変えられるらしい。

 

「ルナリート、覚悟!」

 フィアレスの叫び声!

 私は咄嗟に身構える!フィアレスの剣が私に向かって振り下ろされた!

「ヒュッ」

 だが、剣は私を透過して空を切る。物理的な攻撃は無効、シェ・ファと同じだ。だがそれより……

「脅かすなよ!」

 私は拳を握り、フィアレスに殴りかかった。

「待て、ルナ!」

 兄さんが立ち塞がり、私の拳を止める!

「うおぉぉ!」

 炎に包まれ、数百m弾き飛ばされる兄さん。何て事だ!

 私は走り、兄さんに近付く。体が軽い、瞬き一つ終わらない間に彼の元に辿り着いた。

「治癒!」

 炎と打撲によって致命傷を負った兄さんの傷が瞬時に修復される。

「また死ぬかと思ったぜ……。どうだ、シェ・ファとは戦えそうか?」

「はい」

 私は即答した。あらゆる力が、肉体の時を凌駕している。更に、精神体になるとシェ・ファに意識を掬われる心配も無いだろう。精神体が意識を読み取れるのは、他人の肉体に内蔵された精神エネルギーと、共鳴する事が出来るからだ。精神体同士では意識の共鳴は不可能だ。

 

 それから、一年間戦いの日々を過ごした。

 精神体となった私が、星剣フィアレスと星鎧ハルメスを濃縮された精神エネルギーで覆う事により、対等に戦える事が解った。

 だが、存在シェ・ファも精神体である私も擬似的なものだ。シェ・ファの実際の力は、この数千、数万倍に及ぶだろう。そして、私に注がれるエネルギーも同様に桁違いの大きさだろう。

 訓練は終わった。後は転生し、実際の戦いに備えるだけだ。

 

 二つ、精神体になって解った事がある。

 まず精神体は孤独だ。あらゆる意識を拾い、他の生物と理解しあう事は出来ない。

 エファロードや、エファサタンも他人の意識を掬う事はある。だがその状況は極めて限られており、普段は自意識のみで生きる事が出来る。

 だが、精神体は精神エネルギーの結晶であり、否応無く常に他の精神エネルギーと共鳴するのだ。その事により、あらゆる生物の、悲しみ、喜び、憎しみ、慈しみなどの感情や、現在考えている事までもが濁流の如く流れ込んでくる。

 大勢の生物がいる人間界で、長時間精神体になったままなら、私は発狂してしまうかもしれない。唯、シェルフィアとリルフィを想う事だけが正気を保つ「よすが」だ。

 次に、一旦精神体になると肉体に戻る事は出来ない。精神体の膨大なエネルギーを肉体では支える事が出来ないからだ。肉体で支えられる程度まで精神体のエネルギーが低下した場合、その精神体は姿を留める事は出来ないだろう。

 

「Luna」

 

 私は、その言葉の意味と重みを転生直前になって理解する。

 

 

目次 第五節