【第二節 心の層】

 

 白。

 意識が、滲み一つ無い潔癖なまでの白に包まれている。真っ暗な水底をイメージさせる『記憶の層』とは対照的だ。此処も何らかの『層』なのだろうか?

 周りを『見よう』と念じてみても、意識に映るのは唯、『白』。私の他に魂は居ないようだ。だが、この白には暖かな春の光と、穏やかな海辺の風を連想させるような心地良さを感じる。

 苦しみも悲しみも何処かに置いて、この心地良さにいつまでも浸っていたい。そう感じさせるような、この世界。

 

 不変の白、永遠の優しさを感じるこの世界に比べ、私は如何に揺らぎやすいのだろう。

 

 私が生まれて、物心が付いた頃に感じたのは、『自分が他者とは違う』という悲しみと恐怖。親も不在で、自分が何者か解らないというのは、足場の無い中空を一人彷徨っているのと同じだ。認めたく無かった、自分だけが特別だという事を。そのような状態で、ずっと一人でいたならば私は恐らく自暴自棄になっていただろう。だが、私を支えてくれた大切な仲間がいる。

 ジュディア、セルファス、ノレッジは私の友達になってくれた。他者とは違う私を受け入れ、同じ目線で一緒にいてくれた仲間。そして、ハルメス兄さん。兄さんも他の天使達とは異なっており、私と同じような境遇だった。彼は、私に様々な事を教えてくれた。生きる事、自由の尊さ、そして大切なものを守るという『慈愛』。私は仲間のお陰で、希望を持って生きる事が出来たのだ。

 慈愛を自分が他者に向けられる事に気付いたのは、リバレスと出会ったお陰だ。親を失い、泣いてばかりいた彼女。彼女の親代わりとなり、彼女を育てているつもりが、私自身の成長に繋がっている事を後で知る。

 怒り、それを生まれて初めて爆発させたのは、神官ハーツの暴虐によってだった。全身の毛が逆立ち、高まる鼓動。そして、際限無く溢れる破壊の力。あの時、父である神に止められていなければ、私の暴走は何処まで続いたか解らない。

 そして人間界へ堕ち、フィーネと出会った。彼女の心は悲しみを経ても靭く、光に満ち溢れ、私の心までも照らしてくれた。彼女と共にいるだけで幸せで、触れ合うだけで愛しさが全身を駆け抜けた。愛する事、とても尊く強い気持ち。永遠を願い、それを誓う約束。私はこの約束を何度生まれ変わっても忘れはしない。死しても尚、この魂にしっかり刻まれているのだから。

 次に思い出すのは、憎しみと絶望、そして希望だ。天界にいた時ジュディアは私を愛しており、人間界へ堕ちる前に『人間と恋に堕ちるな』と忠告した。だが、私はフィーネを愛してしまった。ジュディアは嫉妬で怒り狂い、フィーネを殺した。私はその時、身を焼かれるような憎しみに包まれた。愛する者を奪われた怨みは、どんな理由であれ決して消せはしない。今もその光景を思い出すと、心の中でどす黒い炎が巻き上がる。フィーネの魂が私から離れた時、私は死にたくなるぐらいの絶望を覚えた。愛する者を失った絶望は、注いだ愛情に比例する。絶望からは、リバレスの支えと『永遠の約束』によって救われた。再び巡り会うという希望、それだけが私の生きる糧だった。

 魂の邂逅、離別、そして再会。フィーネはシェルフィアとなり、私の元へ戻ってきてくれた。永遠の約束が守られた事、死は終焉では無い事の証明。この時の喜びもまた、私の魂に深く刻まれ消える事は無い。

 

 死闘と、多大なる犠牲の果てに現在がある。シェルフィアとリルフィ、私の命よりも大切な二人だけは死なせずに済んだ。

 

 悲しみ、恐れ、慈愛、怒り、愛、憎しみ、絶望、そして希望と喜び。それらは全て、心(Heart)の一部だ。私は、『心』によって支えられ、時には支配されて生きてきた。

 心は複雑で繊細に出来ている分、傷付きやすい。悲しみは心を傷付け、憎しみは心を抉り、絶望は心を凍らせる。無論、『傷』は生きていく上で必要なものであり、それを乗り越えて人は成長する。だが、生きている上で傷は完治する事は無い。心の何処かに、傷の痕跡は残っているのだ。

 それが、今までの認識だった。

 

 この無限と静寂の白は、心の奥底まで沁み入りゆっくりと傷を洗う。まるで、不純物の無い清涼な水で果物を洗うかのように。そして、洗われた傷は完全に塞がるのだ。

 憎しみと絶望に彩られた筈の記憶を辿っても、最早心に痛みを覚える事は無い。

 

 この場所は、『心の層』だ。誰かに聞かずとも、心を洗う『白』がそう告げている。

 

 何と精巧に出来ているのだろう。記憶の層は魂から記憶を消し、心の層は傷を癒す。

 魂は、生前に左右されない。皆、死して此処に来れば、傷の無い希望に満ち溢れた魂へと還り、再び生へと旅立つのだから。

 

 人は、果て無き死と生を繰り返す。どんな辛い生を送ろうと、此処に来れば忘れ、癒される。

 何の為に人は生き、死ぬのだろうか?

 

 死が新たなる生への準備期間であるならば、魂にとって重要なのは生だ。

 生が死という目的地へ向かう為のものならば、逆である。

 だが、私は思う。どちらも大切なものだと。

 

 結局の所、生きても死んでも、大切なものを見付けて懸命になるしかないのだ。

 だから私は進み、大切な二人を捜しに行く。

 

 白が、一段と濃くなる。

 

 私は躊躇い無く、一番濃い白に魂を委ねた。

 

 

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