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 八月五日、午前四時。螢華は父母と共に家を出た。母は飛行機まで見送りに来るらしい。三人は地上に向かって並んで歩く。他に地底を歩く者はおらず、大空洞の中は息が詰まりそうな程の静寂と、身体の芯まで凍て付きそうな冷気に満ちている。

「螢華、無事に帰って来るのよ」

 聞く者を穏やかにさせるような、温和な声で母は螢華に言った。

「うん、現地の空港まではお父さんと一緒だし大丈夫よ」

「其処からが危ないんでしょう。スノーモービルの運転は、地底でしか練習していないんだし」

 お母さんの言う通り、私は地底にある練習場に少し通っただけだ。それでも大丈夫だと言える根拠がある。

「心配するな。螢華が使うスノーモービルは最新式のものだ。運転は自動と手動の切り替えが可能で、GPSと危険回避装置も付いてる」

 そう、お父さんが私の為に最新のものを借りて来てくれたのだ。自動運転機能が付いているものなんて、練習場にすら無い。

「私の居場所は、お父さんにリアルタイムで伝わるようになってる。出来るだけお母さんにも連絡するようにするわ」

 母は黙って頷き、さり気無く歩速を落とした。二人に、目元に溜まった雫を見られたくなかったからだ。

 

 三人は地上へのエレベーターに乗り込み、上昇している間に防寒具を羽織った。今は夏だが、地上はマイナス十五度以下だ。数分後エレベーターは「ゴトン」と言う音を鳴らして停止した。

 

 扉が開く。

 

 その先に見えたのは、コンクリートで出来た無機質な建造物の内壁。しかし、エレベーターを出て一歩踏み出し、横を見れば遠くの硝子窓越しに凍り付いた大地が見える。紛れも無く、此処は地上である。

「飛行機の格納庫、来るのは久し振りだなぁ」

 まだ太陽の昇る時間じゃ無いから薄暗いけど、小さい頃に訪れた時のままだ。

「感慨に耽っている暇は無いぞ。研究者が来る前に、荷物とスノーモービルを載せなければならないんだ」

「うん、解ってる。お母さん、見送りありがとうね」

 螢華が母に向かって微笑むと、母も螢華にそっくりの笑みを返した。

「二人共、気を付けて行ってらっしゃい」

 母がエレベーターに乗って降下するのを、螢華と父は見守った。その後、二人は慌しく準備を開始する。父が重機を使ってスノーモービルを積み込んでいると、三人の整備員も現れた。螢華が搭乗するのを知っているのは、操縦をする父と副操縦士、整備員だけである。五十名の研究者や、医者、客室乗務員は彼女の搭乗を知らない。

 螢華は案の定、整備員室にて待機となった。彼女が其処に入ってから十分程して、機外が騒がしくなる。他の搭乗者が到着したのだ。

 整備員は機体の整備を行なっているので、部屋には螢華しか居ない。薄暗く微かに揺れる照明、鉄と油の匂い、それらの非日常的なものが彼女に旅立ちを予感させた。

 此処にはホログラムの発生装置は無いので、螢華は携帯端末の液晶に「向日葵の墓」を表示した。

 

 もう直ぐ行くからね。

 私にとって、とても大切な何かを取り戻す為に。


目次 第三章-15