13

 

 強い陽射しが降り注ぎ、夏の気配が色濃く残る九月一日の朝、緋月は空港に居た。彼が大学を辞め、仕事を始めてから、もう三年近くになる。緋月は二十二歳になり、会社では真と共に重要な案件を幾つも手掛けるようになっていた。社会人としての基礎を固め、我武者羅(がむしゃら)に仕事をしていれば、当然貯蓄も増える。緋月は真に断言された通り、旅に憧れるようになった。今日緋月が空港に居るのは、二ヶ月間の旅に出る為だ。本当はもっと早くに彼は旅を実現させるつもりだったが、業務の都合でこの日まで伸びたのだ。

「じゃあ、行って来るよ。手紙とか送れそうなら送る」

 緋月は、国際線のセキュリティチェックを受けるカウンターの前で、見送りに来てくれた真と両親、姉に声を掛けた。カウンターの先には、緋月しか行けないからだ。

「気を付けて」

 両親と姉は、心配そうな顔で緋月を見詰めてそう言った。緋月が「大丈夫」と返答し笑う。すると、真が緋月の背中を叩いた。

「帰って来たら飯でも奢れよ」

「解ってる。二ヶ月も会社を休んで、お前に迷惑を掛けるんだからな」

 大きなプロジェクトは終わったが、それでも案件は余る程ある。旅から戻ったら、真の分まで俺が働いて、早く帰らせてやろう。そして、真の家族全員、否、此処に集まってくれた皆を、美味しい店に連れて行かないとな。

 緋月の行き先は、この国から一万五千キロ以上も離れた、南半球にある世界的に有名な遺跡の多い国だ。言葉も通じず、文化も違う国を緋月はバックパック一つで旅をするのだ。

 緋月がセキュリティチェックを受け、カウンターの先へと歩いて行く。それを、見送りの三人は最後まで見届けた。彼の姿が見えなくなり、四人は別れた。緋月の家族は直ぐに帰路に就いたが、真だけは空港にある喫茶店へと向かう。

 

 真は、喫茶店に座っているサングラスを掛けた女の前に座った。端整な顔立ちで、飴色の長く美しい髪が特徴的な女だ。

「見届けられたか?」

「はい、無理なお願いを聞いて頂いて、本当に感謝しています」

 女はサングラスを外して、真に頭を下げる。彼女の目は潤んでおり、満足感と悲壮感に彩られていた。

「お嬢様なのに、一途なんだな。あんたの事は緋月から聞いてたけど、まさか俺の前に現れるとは思って無かったぜ。しかも、いきなり緋月の近況を教えてくれだもんな」

「きっと、彼以上に素晴らしい人を、私は見付ける事が出来ないので」

「見る目があるな。でも、あいつを落とすのは難しいと思うぜ」

「……知ってます」

 彼女は俯き、テーブルの上にあるカフェラテをストローで啜る。

「また、緋月から連絡があったら知らせるよ。念の為言っておくが、俺は緋月の味方だ。あいつを苦しめるような願いをあんたが俺にしてきても、聞くつもりは無いからな」

「はい、私は待ちます。緋月君が、答を見付けてくれるのを」

 真はその言葉に頷き、席を立った。残された女は、カフェラテを飲み干し、滑走路が見える展望台へと向かう。

 

 緋月は飛行機の座席に座り、出発の時を待っている。午前十時、間も無く出発時刻だ。

 雪那を失って三年半。俺は懸命に生きたつもりだ。だが、生きていく意味、答がどうしても解らなかった。充実した生活を送っているつもりでも、虚無感は不意に襲って来る。何の為に生きて、何の為に働いているのだろうって何度も自問した。でもその度に、俺は雪那が居たから全てのものに意味を見出せていたのだと絶望する。

 たった二ヶ月で、俺は本当に答を見付けられるだろうか? それは解らない。だが、見知らぬ土地で言葉の通じない人間と生活をする中で、何か新しい発見はあるだろう。それが答に繋がる事を、俺は信じるしか無い。

 飛行機が動き始めた。緋月は、暫く見る事の出来ない祖国の姿を目に焼き付けようと窓の外を見る。滑走路の向こうの展望台で沢山の人間が手を振っていた。

 この飛行機に向かって手を振っているんだな。一週間の別れを惜しむ者も居れば、一生会えない別れになる者も居るだろう。だが、あそこには俺に手を振る者は居ない。

 緋月はふと、白いワンピースを着て誰よりも大きく両手を振っている女に目を止めた。遠過ぎて顔は見えないが、良く知っている人のような気がして、「まさかな」と呟いた。

 

 轟音が(こだま)し、緋月を乗せた飛行機が空へと飛び立つ。

目次 第二章-14