第二十節 懐抱

 

 暗黒の底で、融けない氷の中に閉じ込められている。寒い! 息が出来ない……。手足を動かしたくても動かない。このまま、死ぬのか?

「……ナ、ルナ」

「ルナ……、さん」

 氷の外から声が聞こえる。懐かしく、温かい声。誰だ? 「ピシッ」と、氷から音が聞こえた。割れ目から光が射し込む。眩しい!

「ルナさん!」

 声が耳元で聞こえたので、私は恐る恐る目を開いた。

「……フィーネか」

 目の前にフィーネの顔。随分やつれたな。折角(せっかく)の可愛い顔が台無しだぞ……

「ルナさんっ!」

 フィーネが私を抱き起こした。そして、強く抱き付く。

「痛いって……。私は大丈夫だ」

「ルナさぁぁん……!」

 私は泣きじゃくる彼女の頭を撫でる。かなり心配をかけたようだ。ところで、此処は何処なのだろう? 船室では無く、何処かの宿のようだが。

「ルナ!」

 リバレスが私の頭をポカポカと叩く。

「リバレスも心配かけたな。どれぐらい、私は停止していた?」

「ルナはあれから三日間、死んだように眠ってたのよー!」

 三日。ならば、今日は漂流から九日目の十二月十九日。窓の外は明るい。まだ朝か。

「此処は、リウォルの街か?」

 涙で目を真っ赤にしたフィーネに尋ねる。

「はいっ! ルナさんのお陰で、無事に着いたんです! どうして、私なんかの為に無理をしたんですか? 幾ら、人間より丈夫だと言っても、今は弱ってるんでしょう……」

「ごめん。フィーネ、リバレス。心配をかけて悪かった」

 私は、フィーネの背中をそっと(さす)り、リバレスの頭もゆっくりと撫でた。

 

「ところで、この街にはいつ到着したんだ?」

「ルナが倒れてから次の日には街に着いたわー。殆ど眠らずに三日間、フィーネは付きっきりでルナを看病してたのよー!」

 三日も眠らずに付き添ってくれたのか! 私はそれの方が心配だ。

「フィーネ、ありがとう。お陰で助かったよ」

「そんな、感謝してるのは私の方ですよ! ルナさんのお陰で、私は元気に此処に居られるんですから」

 君はいつだって、相手に感謝する。自分の事は評価せずに……

「それなら、お互い感謝してるって事にしよう。今から、私は街に食事をしに行くから、君は眠ってくれ」

 彼女の体が心配だ。彼女に料理を作ってくれとは言えない。だが、彼女の目からポロポロと涙が落ちる。不味い事を言ったかな?

「嫌です! ルナさんは、私の為に空腹で倒れたのに。私が無理にでも料理を作っていれば、あなたは苦しまずに済んだ。私に料理を作らせて下さい」

 細い指が背中に食い込む。今の彼女を止めるのは不可能だ。

「解った。それじゃあ、美味しい料理を『沢山』頼む」

「はい、任せて下さい!」

 フィーネは元気一杯の笑みを浮かべて、立ち上がった。だが、彼女の顔が赤い。熟した林檎のように。彼女も気付いたのだ。互いの体温が残る程、長時間抱き合っていた事に。

「ルナも照れちゃってー! 顔が赤いわよー」

 リバレスが突っ突いて来るが、返す言葉も無い。

 

 部屋には色取り取りの花が飾られている。フィーネが、私の目覚めを願って置いてくれたものらしい。リバレスと談笑していると、本当に沢山の料理が運ばれて来た。パンにスープ、卵料理や野菜、肉料理……。いつも作って貰っていた料理の五倍の量はある。だが、私は瞬く間に完食した。

「ご馳走様! 美味しかったよ、生き返った気分だ」

 満腹がこんなにも幸せだとは。ありがとう、フィーネ。

「それは良かったです! 作った甲斐がありますよ」

 彼女は食器を片付けながら、鼻歌を口ずさんでいる。ご機嫌だな。

「片付けが終わったら、ゆっくり寝るといい。旅は明日からにしよう」

 私は彼女を手伝いながら、そう言った。

「えっ、私は大丈夫ですよ。看病中も、少しは眠っていたので」

 目の下に隈は出来ているが、確かに眠くは無さそうだ。

「そうか……。どちらにしろ、今日は休みにしよう。ゆっくりしてくれ」

 彼女には休んで欲しい。ミルドを出てから、過酷な旅だったから。

「そんな、悪いですよ!」

 申し訳無さそうに首を振るフィーネ。どうしたものか。

「はいはーい! わたしに名案があるわ。二人で出掛けて来たら良いのよ。息抜きに」

 成る程。私が出掛けようと言えば、彼女は付いて来る。のんびりさせる事も出来る。

「フィーネ、私はこの街の中で『君の行きたい所に』行こうと思う。何処に行きたい?」

「えぇっ、突然言われても! そうですね、私は……、買い物と、この街の名物の音楽隊の演奏を聴きに行きたいです。あ、美味しい料理も食べに……。いえ、何処でも良いです」

 顔を掌で覆いながら俯くフィーネ。頬は朱に染まっている。行く所は決まったな。

「フィーネの望むままに。行こう」

「は……、はい。お願いします」

 彼女の無垢な顔に、喜びが浮かぶ。私も、体がカーッと熱くなった。

「行ってらっしゃーい」

「お前も行くんだよ。指輪に変化して」

「(わたしは、此処で待ってた方が良いんじゃないのー?)」

「(街の中に魔が現れるかも知れないだろ。それに……)」

「(はいはい、サポートさせて頂きますよー)」

 済まない、と心の中で呟きつつ私はリバレスの頭を撫でた。




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