第九節 密語

 

 午前二時だというのに、五階の「とある部屋」からは光が漏れている。真夜中過ぎの来訪者を迎えたからだ。この部屋を除いて神殿内は、静寂と暗黒に満ちている。あらゆる者が眠りに落ちている中、その一筋の淡い光は眩い。

 耳を澄ませば、その部屋から押し殺した声が聞こえて来る。無音の静寂の中でその声は、何らかの強い意図を響かせている。

「それは……、本当なのですか」

 興奮を抑えた声。だが注意して聞けば、その声には深い怒りと失望が込められているのが解る。

「はい。彼は天界の教えを否定しています。自由を束縛する教えに意味は無いと」

 集中して聞かなければ、この声に逡巡(しゅんじゅん)が滲んでいる事には気付かないだろう。それ程、はっきりと迷いの無い声だ。

「成程……。非常に残念な話ですねぇ。それで、君は私に何を望むのです?」

「彼を、処刑するのでは無く、ハーツ様の力で正しき道にお戻し下さい。彼は非常に聡明な天使。ハーツ様に指導頂ければ、彼は直ぐに目を覚ます筈です」

 束の間の沈黙。神官ハーツは、頭脳をフルに回転させて、思索を巡らせているのだろう。

「君の思考速度は大したものですね。恐ろしい……。君は、私が彼を殺すつもりが無い事も、いずれ私が『自分の側近』として彼を迎えようとしている事も見抜いている。そうで無ければ、『君』が私にこんな話を出来る筈が無い」

 聞く者を不快にさせる笑い声が響く。密告者は、自分の心中を読み取られた事に驚きながらも、安堵の溜息を吐いた。

「……ありがとうございます」

 そう言って、密告者はハーツの部屋を後にした。

 

 ハーツは一人薄ら笑いを浮かべる。神官用の杖に埋め込まれた、宝石を指先で弄びながら。この宝石は「虹色の()水晶(すいしょう)」で、神術の効果を数倍に高める力がある。彼は、杖を(かざ)硝子(がらす)の置物を空中に浮かべた後、炎で焼き尽くした。

「さっきの話が、本当でも嘘でも……、どちらでも構わない。ルナリート君が私のものになるという結末は変わらないのだから!」

 歯を()き出しにしての高笑い。彼は勝利を確信している。「学生」の知恵など浅はかなもので、先を越されるなど有り得ない。絶対的優位である。立場も、知恵も、力も。

その後、彼は眠りながらも、笑みを絶やす事は無かった。




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