【第五節 終幕の焔】

 

 私の胸の上で、シェルフィアが寝息を立てている。穏やかな寝顔。私は彼女の髪をゆっくりと指に絡めた。

 時刻は午前二時、誰もが眠っている時間だ。私も先程まで眠っていたが、突然意識が明瞭になり目覚めたのだ。転生してから、私は常に体内のセンサーを研ぎ澄ましている。それは眠る時も例外では無い。

 今、センサーは強く私に訴えかけている。「間も無くである」と。

 私は彼女の頭をゆっくりと枕に乗せた。そして、唇にそっとキスをする。恐らく、これが二人で居る時の最後のキスになるだろう。

 唇を離す、すると眠っていた筈のシェルフィアが私の首に手を回した。

「もう少しだけ」

 彼女も解っているのだ。私がもう直ぐ肉体を失い、触れる事すら出来なくなる事を。

 私達は目を瞑り、今まで過ごした二人の時間を思い起こしながら互いの感触を確かめ合った。自然と涙が伝う。だが、次に目を開ける時には笑顔で居たい。二人共同じ事を考えていたと思う。

 リルフィがドアをノックした時には、私達は微笑んで抱き合っていた。

「お父さん、お母さん!」

 駆け寄るリルフィを私は抱っこした。そのリルフィをシェルフィアが抱き締める。

 三人が肉体で触れ合えるのはこれが最後だ。だが恐れる事は無い。私はこれから先も、新しく創る世界で二人をずっと待っているから。

 私は、もう一度だけシェルフィアにキスをして、リルフィを肩に乗せた。

 

 狂おしい程愛しいこの温かみ、永遠に忘れはしない。精神体になっても、新しい魂界でたった独りでも。

 

 私は目を一瞬ギュッと瞑り、大きく見開いた。大好きな大好きな二人の顔がしっかりと目に焼き付く。これで何も怖くない。私は駆け出した。

 

「(兄さん、行きましょう)」

「(ああ、悲劇はもう終わりにするぜ)」

 兄さんの力強い笑顔が脳裏に浮かぶ。私は強く頷きながら、星鎧ハルメスを纏った。そして、キュアの部屋へ急ぐ。

 彼女の部屋のドアを叩くと、彼女は力強く頷きながら私に星剣フィアレスを差し出した。彼女の目は流した涙で腫れていたが、今の表情は澄み渡り一点の曇りも無い。抱えた子供も、無心に剣を見詰めている。

「(良い妻と『息子』を持ったな)」

「(僕は幸せだ。二人の為に戦える事を誇りに思うよ)」

 私は剣の柄を握り締めて微笑んだ。

 

 私達は全員、屋上のテラスに集まった。

 シェルフィアが、婚約指輪を小箱から取り出し私に渡す。私は指輪を掲げ、精神エネルギーを石に集約させ始めた。

 開戦の合図だ。

 

〜罅〜

 存在シェ・ファは、自分を閉じ込めている『封滅』を一撃で破壊する為のエネルギーを練っていた。ルナリートとフィアレスが命を捨てて放った封滅は思ったよりも強力で、中途半端な攻撃では破壊する事は出来ない。

 現世で2年、封滅空間の中での体感時間で2000年の時が流れた。その間彼女はエネルギーを練る他に、現世の様子を探る事が可能だった。ルナリート達が転生した事も、精神体として自分と戦おうとしている事も知っている。

「生命の救いは私と同化する事のみなのに、まだ私を討とうとする。愚かな存在、なのに何処までも力強い」

 ふと自分の表情が緩んだ気がした。私は感情を持たない筈なのに、今の表情は微笑みを浮かべた人間のようだ。

 だが彼女は直ぐに表情を引き締め、いつもの無感情を取り戻した。この時感じた緩みの正体は、彼女自身が後になって知る事となる。

 

「これで、この空間に罅を入れる事が出来る。罅が出来れば、其処から抜け出すだけ」

 彼女は抑揚の無い声で言葉を発しながら、蓄積されたエネルギーを右掌に集約させた。

「カッ!」

 超高密度に圧縮された白光の槍が、空間の一点に突き刺さる。暫くの無音、その後に空間全体が轟音と振動に包まれた。

「ピシッ!」

 槍が刺さった箇所から、蜘蛛の巣状に罅が入る。彼女はゆっくりと罅に近付いた。

 

 

 一方、現世でもシェ・ファが白光を放った直後から異変が起こり始めた。

 まず、轟音と共に海が真っ二つに割れた。それから束の間の静寂。次に、割れた海の底から溶岩が天高く舞い上がった。

 噴き上げられた溶岩は空を超え、世界を真紅に染め上げる。

 

 際限無く噴き上がる溶岩が、やがて空に一本の亀裂を走らせた。その罅からも、血のように赤い液体が流れ落ちる。あらゆるものが、溶岩とその液体で赤く見える。空、海、大地、森、湖、街、人々、真っ白な雪原さえも。

 溶岩は大地の怒り。赤い液体は空の涙。何も知らない者がこの光景を見たならば、畏れ戦き一つの言葉しか発する事が出来ないだろう。

「世界の終わりだ」と。

 

 一閃、目を焦がすような眩い白光が罅から迸った。

 その直後、溶岩と液体の赤は『白』に貫かれ、砂塵となって消える。

 

〜祈り〜

「皆、今から戦いが始まる。私達の守護神、ルナリートの勝利を信じて祈って!」

 ジュディアがミルドの丘の上で、眼下の群集に呼びかけた。人々もそれに呼応し、声を張り上げながら拳を高く突き出す。

「強い思いは必ず届く。私達は祈る事によって一緒に戦ってるの!」

 彼女は自分の声をミルドだけで無く、人間界にいる全ての人間へ届けている。ありったけの『転送』の聖石を使って。

 祈りは気休めでは無い。人々の祈りの力は、実際にルナリートの元へ転送されるのだ。

 

 人々は目を瞑り、一心に祈りを捧げる。子供も大人も老人も一様に、跪き手を合わせながら。願いは一つ、「ルナリートが勝ち、明日を迎えられる事」だ。

 やがて、世界が真紅に染まる。シェ・ファの復活が近い。

 

 

 その頃、獄界でも全ての魔が宮殿を取り巻き、祈りを捧げていた。魔にはキュアが既に現況を伝えている。

 魔の願いも人間達と同じだ。彼等は声も出さず、微動だにせずひたすら心の中で祈り続ける。

 その祈りを妨げるかのように、獄界を仄赤く照らす溶岩が、突如激しく蠢き出した。だが彼等は動じない。主君の勝利を固く信じているからだ。獄界全体が鳴動し、足場に亀裂が入ってもそれは変わらない。

 

 彼等の祈りもまた、星剣フィアレスの力となる。

 一段と大きな揺れが獄界を襲った。最後の戦いが始まるのだ。

 

 

 魂界は今まさに消えようとしていた。

 全ての魂、そして界そのものが次々と純粋なエネルギーに変換されてゆく。記憶、思い出、心……。それらは全てルナリートに委ねられるのだ。

 先代の神と獄王は息子を思い、ティファニィはハルメスに届かぬ愛の言葉を囁き、セルファスはジュディアとウィッシュを心に浮かべて涙を流し、ノレッジとレンダーは手を繋ぎながら消えた。

 

 唯、Lunaを信じて。

 

 

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