〜此処にいる〜

 遺跡最深部へと向かう階段……。冷たい空気が流れている。輝水晶の微かな光以外には、一寸の光すら差し込まない遺跡だ。

 神術で、内部を照らした時私は思わず声を上げた。

「血だ!」

 黒く変色した血の跡が、階段の中央を伝っていた。210年前、こんな跡は無かった。だがたった一人、その主が思い浮かぶ。

「……兄さん!」

「……ハルメス皇帝!」

 10年前、こんなにも大量の血を流しながら兄さんは一人遺跡の最深部を目指した。自分の命を捧げて私達を守る為に……

 210年前、フィーネがこの遺跡で命を落としてから遺跡には一度も足を運ばなかった。悲しみが余りに深かったからだ。

「……行こう」

 私はそう言って、シェルフィアの手を引いた。私達の頬を涙が伝う。

 今、二人が生きているという事にはどれだけ重い意味があるのか?それを考えながら歩を進める。

 

 そして、最深部への階段を下り切った。

「心が張り裂けそうだ!」

 210年前、私の神術で抉れた壁。至る所に血の跡……。何より、痛ましい思いが鮮明に蘇る祭壇!

「……ハルメス皇帝も、此処で亡くなった」

 シェルフィアは、祭壇を直視している。

 だが私は、激しく感情が揺さぶられて、早くこの場を抜け出したい思いに駆られる!

「『虹の輝水晶』の一部を取って、早く帰ろう!」

 私がそう叫ぶと、シェルフィアは私の目を見据えて強い口調でこう言った。

 

「私は此処にいるわ。悲しまないで。皇帝も、魂は消えていない」

 

 錯綜する思考が停止し、私はシェルフィアに手を引かれた。彼女が指差す方向を見ると、そこには……

 

「俺は、いつでも見守っている。魂は不滅だ。泣くな、弟よ」

 

 血で書いた文字が、祭壇の端に残っていたのだ!死の淵に在りながらも、最後まで私の事を想っていてくれた!

 泣くなと言われても、涙が止まらなかった。

 だが、意を決して涙を拭った。すると、自然に言葉が零れた。

「……私は貴方に比べればまだまだ子供ですね」

 悲しんでばかりいたら、前に進めないのだ。私は右手を力強く握った。

 

「フィーネはシェルフィアになり、私の傍にいる。兄さんも、不滅の魂で見守ってくれている」

 私が祈るように発した言葉の後に、最愛の人も続ける。

「悲しむ必要は無い。此処は永遠が生まれた場所だから」

 

 その通りだ。此処は永遠が始まった場所だ。シェルフィアは……フィーネは強い心の持ち主だ。それに何度助けられた事か。

「私がフィーネだった時の最後の言葉、『おやすみなさい、ルナさん大好き』。今はそれを毎日言える。そして、朝目覚めたらルナさんがおはようって言ってくれる。何も怖く無いわ」

 仄かな輝水晶に照らされたシェルフィアの表情は温かい。悲しみも怖れも、彼女が傍にいてくれるだけで消えていく。

 

「ありがとう。シェルフィア、フィーネ、兄さん」

 私は心から感謝の言葉を送った。そして、私は祭壇の一部を削り取り持参した袋に詰めた。後はこれを持ち帰るだけだ。

「ルナさん、寄りたい場所があるの」

「何処だい?」

 私が訊くと、彼女は難しそうな顔をして答えた。

「フィーネのお墓よ」

「解った」

 過去の自分の墓だ。不思議な感覚がするのは無理も無い。

 

 島の西にある断崖。その上に、白い大理石で出来たフィーネの墓標はある。『永遠岬』、人々にはそう呼ばれている。

 輝水晶の遺跡は立ち入り禁止だが、フィーネの墓標は人々に大切に保護されており、墓標には多くの花が捧げられていた。それだけでなく、周りをとり囲むように一面の花畑が広がっている。

 この場所は聖地とされているが、私達が訪れた事は一度も無かった。

「此処に、フィーネの肉体が眠っているのね」

 潤んだ目で私を見つめる。しゃがむシェルフィアの頭を優しく撫でて、私も腰を落とした。

「そうだよ。墓を造ったのはリバレスだ」

 私がそう言うと、シェルフィアは驚いた表情を見せた。

「リバレスさんが!?」

「ああ、私は悲しみの余りフィーネを冷たい土の中に眠らせる事が出来なかったんだ」

 その言葉を聞いて、シェルフィアは手を合わせた。リバレスを想ってだろう。私も彼女を想った。

 彼女は今どうしてるだろう?望み通り人間に生まれ変わったら、真っ先に見つけてやらないとな。でも、あいつはいつも目覚めるのが遅かったから、転生するのはまだ先のような気がする。

 

 私達は祈りを捧げた。

 フィーネ、リバレス、兄さん、そして父さんに……

 その後、私達は誓いの言葉を立てる。

 

「私達は永遠の心を信じ……私達を愛してくれた、貴方達のお陰で此処にいます」

「此処にいるという奇蹟を決して忘れません。そして、愛するリルフィ、人間を守る事を誓います」

 

 210年前と同じように岬は夕陽に包まれたが、あの時のような悲しみは一片も無い。

 私達は強く手を握り合った。決して離れない魂を確かめるように。

 長い時間口付けを交わした。魂の絆をより深く心に銘じる為に。

 

 

 抗えぬ運命、時の奔流、終焉への狂奏……。

 そんなものは関係無い。愛する者と、その未来を守る。

 それが、私の存在する意味だ。

 

『Luna』……

 永遠の心の為ならば。

 

 

目次 第七節