【第十節 星の名を持つ存在】

 

 一体何が起きた!?僕は恐る恐る目を開く。其処には……

「何て事だ」

 さっきまで僕が居た場所は跡形も無い。そうだ、建物も人々も灰燼と化している!人々が居た場所には血痕さえ残らず、地面に影が焼き付けられているだけだ。

 だが、魔も人々も焼き尽くした彼女は、相変わらず無表情に僕に近付いて来る!

 彼女からは、何の感情も感じられない。怒りも憎しみも悲しみも……。

 彼女は唯、潔癖な迄の美しさを湛え、眠るように閉じた瞼を開こうとはしない。

 

 余りの出来事に、僕の意識はついていけていなかったが、ようやく此処で、僕の感情に怒りが溢れ出した!

 こいつは、大事な街の人々を殺したのだ!

「貴様!」

 僕は、究極神術『魂砕断』と『不動』を瞬時に発動させた!だが!?

「シュウゥゥ」

 彼女に届くかと思われたその時、神術のエネルギーそのものが無効化されたのだ。

 

「ノレッジ・ワンダラーズ。私には如何なる物質、神術、魔術も届きません。ですので、私に攻撃する事は無駄です」

 

 透き通った、高く張りのある声。だが、抑揚が無く感情の籠らないその声は、まるで規則正しく音を奏でる楽器のようだ。

 この言葉の意味、僕は理解した。

 

 彼女は僕達の事を知り尽くしている上に、この星で彼女に敵う者は存在しないのだ。

 彼女は神術、魔術、挙句の果てに僕のフルネーム迄も知っている。ならば当然、人間や魔を殺す事が何を意味するかも解っているだろう。そうだ、ルナリート君と獄王が怒る。彼女は、彼等を敵に回す事を何とも思っていない。

 

 そして、もう一つ解る事がある。

 僕は、数秒以内に殺される。そして、星に生きる者は等しく死を迎えるのだ。

 僕達に、明日は訪れない。

 

「(レンダー、永遠に愛してるよ。約束守れなくて、ごめん)」

 

 意思をレンダーに転送した直後、僕は『白』に飲み込まれた。

 

〜滅びの序章〜

 レンダーは一人、城の屋上でノレッジの無事を祈っていた。次に会う時には、婚約指輪を渡して貰える。心配しながらも、胸は弾んでいた。

 毎日が人生で最高の幸せ。レンダーは、ノレッジと出会って全てが変わった。

 生まれてから22年間、病気で家から出る事も出来ず、明日の命を祈る日々だった。

 なのに今は元気になり、心から愛する人に愛されている。これ以上、他に何を望むと言うのだろう?

 

 だが、歯車が狂い始めた。

 

 遥か遠くで、ルナリートとフィアレスが全力で激突し、世界が激しく揺れ始める。それはまだ良い。想定されていた事だ。

 問題なのは、その後レッドムーンが現れて朝が訪れた事だ。

 

 朝と共に、強烈な『白』が、リウォルに襲いかかる魔を瞬時に消し去った。

 そして、ノレッジの最期の言葉がレンダーの頭に谺したのだ。

 

「(レンダー、永遠に愛してるよ。約束守れなくて、ごめん)」

 

「ノレッジさんっ!」

 ノレッジが死んだ。余りに突然の出来事に、レンダーの思考は混濁していた。さっき交わした約束が生々しく蘇る。

「(この戦いが終わったら結婚しよう。)」

 レンダーは強く拳を握り締めていた。爪が掌に食い込み、血が流れ出す。更に、悲しみとも憎しみとも断定し難い涙が溢れた。

 思考よりも、感情と肉体の反応は高速なのだ。彼女は全身を震わせて、この現実を受け入れるのを拒んでいる。

 

 だが、現実は留まる事も容赦する事も無く冷酷な牙を剥く。

 絶望の『白』を湛えた女が、レンダーの頭上を舞った。

 

 レンダーは、五感の全てで理解した。否、誰であってもこの女の前では同じだろう。途方も無い力の差。大きさで形容するならば、人間が砂粒で女は巨大な惑星だ。抵抗する気力も沸かない。殺される者と殺す者。自分達の命は、彼女の一存で全て決まるのだという事。

 そして、彼女は自分達を躊躇い無く殺すつもりであるという事。

 

 レンダーは目を瞑り、両手を空に向かって広げる。そして、思考を止めた。

 

「ノレッジさん。私は幸せです。この世界に生まれて良かった。今から……私も貴方の後について参ります。私も貴方を永遠に愛しているから、死でさえも二人を分かつ事は出来ない」

 

 祈りの言葉を発し、レンダーが目を開いた時、街は全て『白』に包まれていた。

 異様な光景。人も建物も、木々も一様に『白』に飲まれていく。

 そして、彼女は痛みすら感じる事も無く、指先から『白』に包まれて消滅したのだった。

 

 リウォルに粉雪が積もり始める。

 街も人も消え去った大地の上を、慈しみで覆うかのように。

 その光景を見ながらも、女は完璧に整った表情を変える事は無い。

 

「『私』から『不要なもの』を消し去る業は、始まったばかり」

 

 女は確認するように一人呟いた。その声には何の感情も浮かばない。当然である。彼女は感情を持たない。そして、生者にも死者にも属さない。

 彼女にあるのは、たった一つの意思だけだ。

 

「生きる者全てを消し去る事」

 

 この星に生きる者にとっての悪夢は、まだ始まったばかりだ。

 

〜星の意思〜

「うぉぉ!」

 俺は肉体も精神も一つの光へ変換して、フィアレスにぶつける!フィアレスも、同様に闇の化身となり俺を飲み込もうとする!

 俺達を中心に、星が激しく振動している!

 何故、俺達の力には優劣が無い!?少しでも差があれば、此処まで肉体と精神を極限まで削って戦わずに済むのに!

 否、そんな弱音は吐くな。力の差に関係無く、俺は勝たなければならないのだ!

 その時だった。

 

「まさか?」

 

 光と闇の狭間に垣間見えるレッドムーン。見間違う筈も無い真紅の月。

 フィアレスの魔術か?違う、フィアレスも空に目を遣っている。

 次の瞬間……レッドムーンが消えて、代わりに夜明けが訪れた!

 だが俺達は自分の力を緩めはしない。今、気を抜けば確実に相手の強大な力に飲まれる!

 しかし、数秒後……

 

「ゾクッ」

 

 背中から全身に駆け巡る不快感で、俺達は同時に攻撃を止めた。この感覚、一番近い言葉で表すならば「耐え難い恐怖」だ。

 俺は剣を下ろし、フィアレスの目を直視する。困惑の目。

「君も感じたんだね」

「あぁ。何だこの感覚は?」

 俺達は暫し呆然として、その場から動く事が出来なかった。

 

 その時、そんな俺達の様子を見守っていたかのように、一人の女がS.U.Nの光を背に現れた。

 穢れ無き純白のローブを身に纏い、完全な美を体現したかの様な容姿。

 だが、其処には何の心も宿っていない。異界の者……。俺達の想像ではとても及ばない潔癖な存在。

 そして、どんな生物をも超越した力を内包する物体……

 感じられる意思は『殺意』のみ。

 

「僕の見た夢は現実だった訳だ……。ルナリート、僕達は」

 普段は気丈なフィアレスの表情に、拭えない恐怖が張り付いている。

「それ以上言うな。それを言葉に出せば、俺達は愛する者との約束は果たせなくなる」

 

「(抗う術も無く殺されるなんて言葉は、決して口に出すな。)」

 

「そうだね……。僕達は戦わなければならない」

「そうだ、ロードとサタンが今こそ協力する時だ」

 俺達は弱々しく剣を握り締めた。体が震える。一刻も早く此処から逃げ出したい!だが逃げる訳にはいかない!

 二人で必死に女を睨み付ける。其処で女は口を開いた。

 

「エファロード。そしてエファサタン。この星を長く治めてきたニ神。貴方達が私を認識するのは初めてでしょうね。しかし、私は貴方達の事は良く知っています」

 

 淡々と話す言葉にはやはり感情が籠らない。事実を語っているだけなのだろう。

 閉じて開かない瞳の奥には一体何が見えているのか?

「65億年前の『最初の者』から、もう23265代目になるのですね。時の流れとは早いものです。勿論、『時』という概念は貴方達が考え出したものですが」

 一体何を言っている?まるで、この星の全てを知っているかのような口振りじゃないか!

「お前は……一体何者だ?」

 俺と同じ感想を持ったであろうフィアレスが質問を投げかけた。この女に対して意思の疎通など出来るのだろうか?

 だが、予想に反して質問に対して正確な回答が返って来た。

 

「私は、私に名を付けるならば、『存在シェ・ファ』」

 

 シェ・ファ。古代語で、『美しき星』を意味する。現在では、『シェファ』という名称は俺達が生きるこの星の名だ。

 だが、何故そんな言い回しをする?まるで自分に名前が無いような……

 そして、何故名前が『シェ・ファ』なんだ?

 困惑する俺達には構わず、シェ・ファは話を続ける。

「宇宙、光、闇、時。何も存在しなかった過去は、唯『無』でした。しかし、私は動き出した時と共に生まれた。そう、私は全ての始まりである『存在』の破片。そして、私はこの星そのものです」

 この星!?星が人の姿を借りて俺達の前に現れたというのか?感情を伴わない殺意を秘めて?

 理不尽な事態に憤りを感じ始めた俺とは裏腹に、フィアレスは顔面が蒼白になっている。何かを理解したようだ。

「フィアレス・ジ・エファサタン、貴方は理解したようですね。そう、私達『存在』には意思も感情もありません。『存在』は器なのです。最初の『存在』が全てを内包し、無を彷徨っていたように」

 シェ・ファは目を閉じていても、相手の心を読む事が出来る。神術も魔術も使っていない。彼女に対して、俺の基準で測れるものは何も無いと言う事だ。

「器が意思を持つのは、内部からの干渉によってのみです。決して、外部から影響を受ける事は無い。この星が誕生してから、私がこの様に意思を持って現れた事はありませんでした。でも、今私は此処に居る。ルナリート・ジ・エファロード、解りませんか?貴方の基準の範囲内にその答はある筈です」

 過去に現れた事は無く、今現れた。それを引き起こしたのは、過去と現在の相違。歴代の神と獄王と俺達の行動を較べる。

 天界の放棄、魂界への不関与、獄界の維持と深獄封印への力の低減……深獄!

 

「気付いたようですね。そう、私を動かしているのは、深獄に封印されていた12の魂です。23265代目エファサタン、フィアレス。貴方が深獄の封印を弱めた事によって彼等の魂は動き出し、『シェ・ファ』の中心に辿り着いたのです。そして、私と同化した」

 何も言えない。彼女が現れたのは必然……・。この事態は俺達の選択が招いたのだ。

 深獄……。かつて強大な力を奮い、生命を破滅に追い遣ろうとした悪魂を封じた場所。

 

 「違います。それは貴方達が捻じ曲げた歴史」

 

 その一言にどれだけ重い意味があるのか……。俺達は、激しい頭痛を覚え記憶が揺さぶられるのを感じた。

「かつて、私が内包する一部が、『貴方達』の支配を止める選択をしました。選択により、地上に送り出された無垢な魂は、貴方達の恣意によって生まれる事すら許されず深い闇に葬られた」

 そうだ、その通りだ!ロードとサタンは、自分達の地位を守る為に……強大な魂を生まれる前に封印したのだ。

 それが、魂界への関与の理由だ。魂界へ送られる魂と、魂界から現れる魂。その二つを監視する事により、俺達は絶対の権力を維持してきた。俺達を脅かす可能性のある魂は、生まれる事を認めない。

 全てを思い出し、論理が噛み合った瞬間、強い罪悪感が生まれて己を責める。

「止めろ!」

 その痛みを堪え切れなくなったフィアレスが、魔剣をシェ・ファに振り下ろす!

「無駄です」

 剣は彼女の体を透過し、虚しく風を切る音のみが響く……。このままではフィアレスが殺される!

「うぉぉ!」

 俺は瞬時に、『光』を発動させシェ・ファに放つ!

「それも無駄です」

「シュゥ」

 神術の力が無効化され、彼女には届かない!

「何て事だ……。済まない、ルナリート。僕が深獄をしっかり封印しておけば!」

 絶望的な状況の中、フィアレスが後悔の叫びを上げた。

「お前の責任じゃない。しっかりしろ!俺達は、自分にとって最も大切な者の為に選択をしたに過ぎない。後悔するぐらいなら、前を見るんだ」

 俺も考えがある訳じゃない。唯、心が折れれば其処で全てが終わる。それだけは避けなければならない。

「流石だね。ロードは昔からずっとそうだった。常にサタンより冷静で、強靭な心を持っていた」

 

「貴方達は、互いを憎しみ、認め、高め合って来た。そうでなければ65億年の間、支配者でいられる事は無かったでしょう。でも、それも終わりです」

 全く感情の揺らぎも無いのに、彼女の言葉は酷く冷徹に聞こえる。

 そうだ、冷静に考えて俺達はどう足掻いても、彼女を止める事は出来ない。

 だが、認めない。俺達は『永遠の心』を持っている。それを精神の軸にしている限り、決して絶望を認めたりしない!

 

「ルナリート、そしてフィアレス。貴方達が強靭な意思を持ち、私を止めようとしているのは解ります。しかし、それが不可能である事は理解しているでしょう?感情がそれを認められず、甘い幻想に縋っているだけ」

 彼女はいちいち心を読み、それを否定する言葉を投げかける。俺はフィアレスの表情を窺った。彼の表情にも迷いは無い。

「エファロード、エファサタン。貴方達は私と戦うのに躊躇いは無いようですね。しかし、関係ありません。戦う意思の有無に関わらず、貴方達は確実に死にます」

 その言葉の後、シェ・ファは両手を広げて天を仰いだ。

 

「時の変わり目が訪れた。『無』に浮かぶ『存在』から、宇宙の全てが生まれたように」

 

 世界が暗黒と雷雨に包まれる。真っ白な雷がシェ・ファの体に集まる!

「私はこの星の意思」

 大地も空気も、シェ・ファの力を受けて鳴動している。まるで、悲鳴を上げているかのようだ。

「悲しみ、苦しみ、束の間の喜び。生きている事に意味など無いでしょう?刹那の幸福の陰には、無限の不幸が隠蔽されている」

 彼女は全ての生命を否定している。俺達は……

「生きる事は、不幸を忘却へ押し遣り、幸福を夢見る事の繰り返し」

 白い稲妻が海上を走り、その跡は無に帰していく。

「ならば真なる幸福は、何も感じず、心を捨て去る事」

 

「死して、私と同化する事が唯一の救いなのです」

 

「ふざけるな!」

 俺達は同時に叫び、剣先をシェ・ファの首元に突き付ける!

 同時に、『光』と『闇海』が各々の剣に宿った。

「貴方達は最後です。今は眠っていて下さい」

 最後、眠る?その言葉を理解する前に、目の前が真っ白な雷に包まれ、意識が無に包まれた。

 

 

目次 第十一節