〜不可思議の始まり〜

 正午の時間を告げるチャイムが鳴り、シェルフィアが昼食を私の仕事部屋まで持ってきてくれた。今日は海鮮素材が沢山入ったパスタで、味は言うまでも無く絶品だった。いつも私達は、食事を摂った後は昼休みの終わる時間まで一緒にいる。昼休みが終わるのは午後1時でチャイムが鳴るのだが、シェルフィアがこの部屋を出るのは厨房の人間が迎えに来てからだ。

「カラーン……カラーン」

「あっ、もう昼休みは終わりね。もうすぐしたら、私を迎えに来るわ」

「一時間なんてあっと言う間だな、本当に。今日も美味しい昼食ありがとな!」

 私は食べ終えた皿を見てからシェルフィアに微笑んだ。

「どういたしまして!ルナさんが喜んでくれるから私は料理が大好きなの。勿論、リルフィも美味しいって食べてくれる。妻として、母親として私は幸せ……だから、これからも料理は頑張るね!」

「そうか!じゃあ、私もこの平和な世界を維持していく為に仕事を頑張らないとだな!」

 私達は笑顔を交わしながらそんな会話をしていたのだが、10分経っても30分経っても迎えが来ない。いつもなら、大体10分以内に迎えが来るのだが……

「今日は遅いわね、忙しいのかな?」

「少し様子を見に行ってみよう」

 まず、部屋の扉を開けて私達は驚いた!誰もいないからだ。

「あれっ!衛兵達や城で仕事をする人間達が一人もいない!」

 私達は辺りを見回した。しかし、本当に誰もいない!

「厨房に行きましょ!」

 不安そうなシェルフィアの声と共に私達は駆け出した。幾つもの階段を走り降り、辿りついた厨房、そこには!?

「みんなどうしたの!?」

 シェルフィアが駆け寄る!それもその筈だ、厨房の人間が全て床に倒れていたのだから!

「おい!どうしたんだ!」

 私も倒れている一人を揺さぶった!しかし……返事は無い。だが、次の瞬間状況を把握した!

「眠ってる!」

 私とシェルフィアは同時に叫んだ!

「一体……どういう事だ?」

「わからないわ!でも、これは唯の眠りじゃない。揺さぶっても呼びかけても起きないから」

 眠っているだけなら命に別状は無さそうだが、さっきまでは皆元気に起きていた。私達は何が起こったのかを理解する為に、城中を見回る事にした。大抵の者は、いつも仕事をしている場所でそのまま眠りに就いていた。しかし、誰一人起きている人間はいない。驚いたのは城の中で彫刻をしている彫刻家が、像を削りながら眠っていた事だ。これは、抗えない眠気が突然襲ってきた事を意味する。この城に一体何が起こったんだ!?私やシェルフィアが見る限り、これは神術等の仕業でもない。

「街も見に行かないと!」

 シェルフィアはそう言って全力で城を飛び出した!

「全く……昔から変わって無いな!」

 私もその後ろを追いかけた。緊急事態なのだが、傷付いた者の為なら後先を考えずに走って行くシェルフィアの背中がとても懐かしくて頼もしかった。

 白亜の石畳の上を街の中心まで走り、辺りを見回したが……やはり皆深く眠っていた。

「そうだ……リルフィは!?」

 私達は青褪めた!最愛の娘は今学校に行っている!城も街も眠ってしまったのならば!?まさか!

「パパ、ママー!」

 その時だった!泣きながら私達の下へと走り寄るリルフィを見たのは!

「リルフィ!」

 彼女はシェルフィアの胸に飛びついた!私もすぐさま落ち着かせる為に頭を撫でた……その時!

「ポォォー!」

 聞き慣れた音!こちらへ向かう線路を走る蒸気機関車だった!運転士は……やはり眠っている!勿論乗客も!このまま機関車が暴走すれば、大惨事になる!

「ルナさん!どうするの!?」

「久々だけど、力を使うしか無いな!」

 私は、エファロード第三段階の力を解放した。髪は銀に染まり、背中には光の翼が現れる!そして、私は高速で機関車の上空に移動した!

「機関車全体に『停止』の神術を!」

 それで機関車の動きはほぼ止まった。完全に止めなかったのは、停止を解除した時に反動で再び激しく動き出すからだ。

「後は、ゆっくり動きを止めるだけだ!」

 動きが緩慢になった機関車の前に私は降り立ち、片手を前に出して動く機関車を止めた。そして、停止を解除しながら衝撃を私の腕で吸収した。かつての戦いに比べれば、このぐらい造作も無い事だ。

「パパすごーい!」

 さっきまで泣いていたリルフィが今度は私に抱き付いてきた。

「よしよし、もう大丈夫だ」

 私が彼女を抱き締めていると、シェルフィアが少し寂しそうに私を見ていた。昔は、こんな時すぐに喜んだり泣いたり走り寄ったりするのはシェルフィア、フィーネの役目だったからな。それより……機関車は止めたが、現状は一向に良くなっていない!それを何とかしなければ!そう思った時だった。

「キュィィ!」

 目の前に光の球体が現れて、徐々に消えていく……中から現れたのは、セルファスとジュディア、そしてウィッシュだった!これは、転送の力を封じ込めた聖石の力だ。

「一体これは何が起こってるの?……世界が眠ってしまったわ!」

 現れるなり、青褪めた顔をしたジュディアが叫ぶ。

「ルナ!たった今世界を転送で見回ったんだが、ミルドや他の街の人間達は皆眠ってしまったぜ!しかも、人間だけじゃない。天使だった者までだ!」

 世界までもが!セルファスも慌てふためいている!そんな……天使だった者まで!?

「これは今までに無い深刻な事態だ!だが……私達は何とも無い。現状を整理すると……私達のように強い力を持つ者以外は夢に落ちているという事!?」

 そこで、シェルフィアが言った。

「ジュディアさん、これは神術の類ではない。そうよね?」

 その声に、かつて天界で神術を司り極めたジュディアが即答する。

「ええ、間違いない。神術なら見ればすぐわかるわ。何より、世界が眠るような強力な力はルナやシェルフィアしか使えないでしょう?だから神術の仕業では無いわ。そして、魔術でも無い。この眠りは、術ではなく物理的な眠りよ!人も天使も皆眠る。その生理的な本能に対して何かが強力に働きかけているという事」

 彼女にも見当が付かないようだ……一体どうすれば!?そうだ!

「私が、世界に対して眠りから醒めるよう強い力を送れば何とかなるんじゃ!?」

 私がそう言うと……

「それはダメ!」

 シェルフィアとジュディアの声が重なった!何故だ?シェルフィアがジュディアの顔を見てジュディアは頷く。どうやら、二人の見解は同じなようだ。

「今眠っている人々は、普通に眠っているのと変わらない。それを、強い神術で起こせば精神崩壊するかもしれない!だから、原因を究明して止めなければいけないわ!」

 ジュディアがそう言うと、シェルフィアは再び強く頷いた。そして……

「(ルナリート君、皆さん聞こえますか!?)」

 ノレッジの声だった!声のみを転送してきているようだが……

「(ああ、聞こえる!リウォルはどうなってる!?)」

 私は、この場にいる全員とノレッジに向けて意識を転送した。すぐさま、彼から返事が返る!

「(その質問をするという事は、この街だけじゃないんですね。皆眠っています!僕の傍にいたレンダーも!僕もそちらに行こうと思いましたが……彼女とこの街が心配で!)」

「(それは仕方無いさ、大事な人の傍にいてやるんだ!だが……私達の知る限り、原因を解明しなければどうしようも無さそうだ……ノレッジ、何かいい考えはないか?)」

 私達は祈るような気持ちで彼の返答を待った。彼ならば、良い考えが浮かぶかもしれないと思ったからだ。暫く沈黙の時間が流れ……

「(……僕も良い方法は解りません。でも、知識の街リナンにある本の中には参考になる情報が集約されているかもしれませんよ!)」

 成程……そうか、あの街にはかつての天界の知識と人間界の知識が集っている。行く価値はありそうだな!

「パパ、行きましょ!」

 リルフィが躊躇いなく声を張り上げると、場にいる皆は頷いた。今は、リナンの知識に賭けてみるしかないだろう。

「『転送』!」

 エネルギー膜が6人を包み、目の前の景色が消えて高速で流れていく。そして、リナンの中心部へと到着した。だが!

「この街も眠ってるよ!」

 ウィッシュが叫んだ!それもその筈だ……見渡す限り、街の中にいる人間は地面に倒れ眠っているのだから……

 この街は、かつて天使だった者が多く住んでいる。ここで暮らす者は知識欲が旺盛で、科学技術だけでなく哲学や言語の分野でも研究を行っている。天界の知識、人間界の知識が描かれた本が無数に存在するこの街の中央図書館には私さえも知らない事柄が多くあるのだ。そして、この街の暮らしは慎ましやかだ。レンガ造りの家が立ち並び、どの家も綺麗に手入れと掃除がされている。だが、豪奢な飾りつけなどは一切無く人々は高級な食物も滅多に食べないようだ。そうする理由は、一般人が憧れるような奢侈な暮らしには興味が無く寧ろ知識を深める事で心を豊かにする事に価値観を見出しているからだ。

「早く図書館へ!」

 皆口を揃えてそう言った。一斉に中央図書館へと駆ける!ほんの数分、街の奥へと走ったがこの事態の深刻さが身に染みて伝わってくる!本当に、誰一人として起きている者はいないからだ。このまま、万が一眠りから醒めないような事があればいずれ死に至るだろう。生きている者は常にエネルギーを消費しており、眠ったままの状態では食物というエネルギーを摂取する事が出来ないからだ。

「着いたぜ!」

 セルファスが、図書館の門を勢いよく開こうとした時だった!

「皇帝、そして皆様お待ちしておりました」

「ディクト!」

 驚いた事に、ディクトは眠っていなかったのだ!一体何故だ?

「皇帝、そんな怪訝な顔をされなくとも……この図書館には、強力な結界が張られているのをお忘れですか?」

 そうか……確かにこの図書館には、物理的な攻撃や神術などのエネルギーを反射するように結界を張っている。この施設はそれ程重要な役割を持っているからだ。

「図書館に居た学者は既に調査を開始しております。さぁ、原因を探りましょう!」

 私達は暫くの間唖然とした。私達が焦っている間には既にディクトを含む学者達は調査を始めていたというのか?その冷静さと頼もしさに言葉すら出なかったからだ。しかし、今すべき事は決まっている。

「わかった!まずは、私達が見てきた街の状況を話そう」

 学者達に囲まれ、私達はフィグリル、ミルド、リウォル……そして、セルファス達が見てきた街の状況を率直に話した。

「成程……世界が眠っているのは、神術や魔術の類ではないと……しかし、今までにそんな話は聞いた事がありませんね」

 白髪の頭に手を遣りながら、ディクトは真剣な面持ちで考え込む。同様に学者達も首を傾げていた。

「物理的なものが作用する眠りであるとすれば、必ず働きかけている物が存在する筈です!それを探せば!」

 一人の学者が思い付いた瞬間にそう叫んだ!

「そうですね。それを探す事で原因がわかるでしょう!しかし……場所が?」

 ディクトがそう言った直後、リルフィが言った。

「皆さんの話を整理すると、必ず原因の物が存在するという事ですよね?その原因の物が周りに作用させているとするならば、各地で眠りが発生した時間の差から原因の地点を算出できるんじゃないですか?」

 恐ろしい娘だ……たった8歳にして、研究に生涯を捧げる学者達と張り合うとは!しかも、この考えは……

「素晴らしい。流石は皇帝の御子息です!早速計算を始めましょう!」

 大きなテーブルに大きな世界地図を広げ、各地で眠りが発生した時刻を書き込んだ。フィグリル城での正確な時間はわからないがある程度は絞られる。リルフィが学校で現象が発生した時間を覚えているからだ。そして、各地の時間と共に計算すれば大体の地点が求められるだろう。時間が書き込まれた瞬間、私の頭の中で数式が描かれ答はすぐに出た。

「まさか……そんな筈は!?」

 私は、各地を結ぶ線を引き計算結果の地点を指し示した。全員が計算結果の正しい事を確認した上で示した地点を見て叫ぶ!

「『聖域ロードガーデン』!」

 聖域ロードガーデン……ここは、かつての人間界には無かった場所だ。それもその筈……この場所には、太古より人間界と獄界を繋ぐ『死者の口』があり、10年前に天界が死者の口に覆い被さるようにこの場所に融合したからだ。天界がこの場所に融合したのには訳がある。それは、私の最愛なる兄であるハルメスが、命と引き換えに死者の口……即ち獄界への道を塞いだ事に起因する。天界をこの場所に融合させる事によって、死者の口の復活を阻止する事が出来るからだ。天界の融合後この場所から、天使だった者は出発した。そしてこの場所は聖域ロードガーデンと名付けられ、天界の遺跡が残る事となる。今では、本や貴重な物質は全て持ち運ばれて私が強力な結界を張っている。この場所に張っている結界は、死者の口を封じていても万が一起こり得るかもしれない獄界からの侵入(転送等を用いた空間転移術での侵入)を防ぐ為のもので、エファロードである私やシェルフィアぐらいの力が無ければ結界に触れた瞬間対象者が消滅する程のものだ。だからこそ、その場に誰かがいるという事は有り得ない。勿論、眠りを起こさせるような天界の遺物がそこにあるとは考えられない。人間界でその場所に行けるのは、私とシェルフィア、そしてエファロードとしての力を内に秘めるリルフィだけだ。

「そんな事は有り得ない」

 私はそう言いながらも、背筋が凍るのを感じた。冷や汗が止まらない。一つの可能性が脳裏をよぎったからだ。それは、その結界で封じる事が出来ない存在がある事を思い出したからだ。だが……そんな筈は無い!

「ルナさん、どうしたの?」

「パパ!」

「ルナ!」

「皇帝!」

 同時に皆が私に呼びかける。そうだ……私がしっかりしないでどうする?私がこの世界を守らなければ、一体誰が守る?

「『転送』により、フィグリル城に眠る私の剣を」

 私がそう言うと、目の前にかつて私が使っていたオリハルコンの剣が現れた。これが、私が現在使える最強の武器だ。父である神との戦いでは『神剣』という究極の剣があったが、それは戦いの終わりと共に消えてしまったからだ。『神剣』は私を想う者の魂が剣と化した物……神との戦いが終わり、その魂は生まれ変わる為にこの世界から消えていったのだ。

「ルナさんっ!?そんな剣を出して何をするつもりなの!?」

 シェルフィアが血相を変えて私の腕を掴む!10年前から私は剣を握る事は無かったからだ。

「念の為だよ。心配いらないさ。ちょっと見て帰ってくるから!」

 私はそう言って、眼前に浮く剣を握り絞めた!

「……一人では行かない約束でしょ!?」

「そうよ、パパ!」

 二人は、私の両腕を離さない。これでは、転送で聖域に向かう事もできない。

「そうだな。確かに約束した。何があっても離れないって」

 私はそう言って剣を下ろす。そして、セルファスやディクト達に言った。

「今から、私達は聖域ロードガーデンに向かう。もし、そこに原因があればそれを排除するつもりだ。その際に……私が剣を振るう事になるかもしれないが、心配するな。必ず戻るから!皆は待っていてくれ!」

 すると、心配そうに皆が私の傍に近寄る。

「必ず全員無事で帰って(こいよ!)(きてね!)(きて下さい!)」

 私は強く頷き、まずはエファロード第4段階まで力を解放した!銀の髪、真紅の目、光の翼……そして神としての記憶の覚醒だ。こんな力を使うのは10年間一度も無かった。そして、転送の為に精神を集中する!慣れたもので、シェルフィアとリルフィはすぐに私の体に抱き付く。

「聖域ロードガーデン上空へ!」

 

 

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