【第三節 芽生えた心】

 

 ここはリウォル。現在、世界の最先端技術を生み出す街だ。この街の傍には、リウォルタワーというかつての神が創った古代兵器があった。その古代兵器は、ルナリート君達の活躍によって滅せられ跡にはオリハルコン等の天界の貴金属が残った。その貴重な物質と共に天界の技術が残るこの場所には、多くの学者と研究者が集まった。その中には、僕のようにかつて天使だった者もいるが人間も沢山いる。研究したいという情熱に、自分の身上など関係ないからだ。僕は、天界と人間界が一つになってしばらくしてからこの街の指揮を任された。この街には、リウォル国王という名の人間がいたが『国王』と呼べる存在はルナリート君だけになり、旧リウォル国王にはこの街で『科学技術研究機関』の最高顧問として活躍してもらっている。勿論僕も、街の統治だけでなく研究全てを把握して指導と試行錯誤を繰り返す毎日だ。そう、僕はかつて天界でルナリート君に負けないように勉強し続けた毎日を、この街で存分に活かしているのだ。

「おはようございます!ノレッジ様!」

 僕が研究機関への視察と街の人々との交流の為に歩いていると、いつもそんな風に明るい笑顔で話しかけられる。

「皆さんおはようございます!今日もいい天気ですね。何か変わった事はありませんか?」

 僕は話しかけられたら、必ずそういう風に異常がないかを訊く。人々の異常は、街の不幸に繋がるからだ。

「ええ、皆いつも通り元気ですよ!ありがとうございます」

 そう聞くといつも胸を撫で下ろす。と言っても、今までに大きな異常が起きた事は一度もないのだが。

「それは良かったです。また何かあったら些細な事でも構わないので、すぐに言って下さいね」

 僕はそう言うと、近くにある研究機関の一つに向かった。すると……

「ノレッジ様!お待ちしていました!見て頂きたいものが!」

 研究施設に入った途端、待ち構えていた研究員に僕は手を引っ張られる。すぐに僕は白衣に着替えて研究室に入った。

「これは……新しい化合物ですね!まだ何に使えるかはわかりませんが、これは凄い発見ですよ!」

 僕は眼鏡を何度もかけ直しながら、研究員と共に顕微鏡の接眼レンズに夢中になった。その後、この化合物に対して施設の研究員全員と白熱した議論を交わし、気付けば時間は夜になっていた。その間、昼食の時間が過ぎていた事は誰も気付かなかったのには驚いた。

「さて、名残惜しいですが今日は帰りますね。皆さん、食事を忘れて倒れないように気を付けてください!」

「わかりました!また来て下さいね!」

 施設を出ると、辺りの家々は夕食の時間になっており窓から零れる温かな光は平和という幸せを象徴しているようだった。

「(帰って片付ける書類は沢山あるけど、その前に)」

 僕は頭の中でそう呟いて、とある場所へ向かう。向かう先は、一軒の家だ。この家には3人の家族、人の良い父母と繊細な娘がいて慎ましやかな生活を送っている。僕がこの家族と知り合ったのは、父親がある研究施設の責任者ですぐに意気投合したからだった。僕がこの街に来て間も無い頃からなので、もう付き合いは10年近くになる。

「今晩は、今日は研究で遅くなりました」

「お待ちしてましたよ、どうぞ上がって下さい!」

 家の中からはとても良い匂いがする。きっと美味しい夕食を作っていたのだろう。僕は昼を食べていなかったので、かなり空腹だった。しかし、城に帰れば夕食がある。それまで我慢する事は造作も無い事だ。

「レンダー!ノレッジ様が来て下さったわよ!」

 レンダーとはこの家族、フィロソフィ家の娘の名前だ。

「ノレッジさん、いつもすみませんね」

 父親が僕に頭を下げた。頭など下げる必要はないのに……

「僕達はそんな仲じゃないでしょう?頭を上げて下さい。僕はここに来たくて来てるんですから!」

 僕がそう言っていると、レンダーが階段を降りてやってきた。母親に似た、黒く美しい長髪、父親に似た優しい茶の目。

 正直に言うが、僕は彼女が好きだ。今まで自分は恋をする事など無いと思っていたが彼女と会って変わった。いや、接する内に序々に変わっていったというのが正しいだろう。

「ノレッジ様!お忙しいのに、私なんかの為に毎日……申し訳……ゴホゴホッ!」

「レンダー!」

 僕はすぐに彼女の元に駆け寄ったが、ちゃんと母親が支えてくれていたので倒れる事はなかった。

 そう……彼女は病気だ。その病気は生まれついてのもので、原因も不明だ。主に呼吸器系が弱いようで、外の空気をまともに吸う事すらままならない。彼女が生きていられるのは、父親が開発した空気を濾過する装置がこの家全体に張り巡らされているお陰だ。レンダーは、家から殆ど出る事も無く22年の月日を送ってきた。22年という歳月は、天使だった頃からすれば大した長さではないが、人生の4分の一以上と考えると気が遠くなるような長さだ。

「……私は大丈夫です。ご心配をおかけしてすみません。それはそうと、ノレッジ様今日は遅い時間ですし、失礼でなければ家で一緒に夕食はどうでしょうか?」

 呼吸を整えて話す彼女の顔は、家から出ない所為で全く日焼けせず透き通るような白さだ。それが、彼女の儚さと可憐さを余計に醸し出している。それは美しいが、僕が一番望む事は彼女に健康になってもらう事だ。

「いえいえ、僕は城に帰れば夕食がありますよ!一家団欒を邪魔しては悪いです」

 僕がそう言うと……

「ノレッジさん、さっき言われた言葉そっくりそのままお返ししますよ。『俺達はそんな仲じゃないでしょう?』もう10年近くも交流を続けてきたんですからね!ノレッジさんは、この街を治める方なのに偉そうな素振りなど一切見せず……住人や研究員と同じ視点に立ってくれる。いつもお世話になりっぱなしなんですから、たまにはお礼をさせてもらわないと!」

「ノレッジ様、私からもお願いします!ノレッジ様がいてくれると、この子が元気になってくれるんです」

「お母さん!」

 レンダーの白い顔が朱に染まる。それを見ると、僕まで恥ずかしくなった。ここまで言われたら僕は断るわけにはいかないだろう。

「わかりました、今日は御馳走になります。空腹なので沢山食べますよ!」

 僕が笑顔でそう答えると、家族皆が喜びに満ちた顔をした。天界にいた時は、僕一人の存在がこんなにも必要とされるなんて思ってもみなかった。今なら、ルナリート君が人間の為に天界を捨てて戦ったのも素直に納得できる。自分が生きている事が他の人に認められて、必要とされる。また、僕も人を愛する事ができる。これは本当に掛け替えの無い素晴らしい事だって気付いたからだ。

「……ノレッジ様、今日は私の我が儘を聞いて下さって本当にありがとうございました!」

「いえいえ、また来ますよ。時間を作れたら明日も来ますから!」

「本当にありがとうございました!」

 と、家路に就く私に向かって3人はいつまでも手を振っていた。

「(今まで……本当にありがとうございました。ノレッジ様)」

 しばらく歩いていると一瞬、心の中に何か聞こえたような気がしたが気の所為だと思い城に帰った。城に帰ると、溜まっていた書類をサッと読み審査した。それが終わったのは、夜中の1時ぐらいだったが別に辛いとは思わない。今の暮らしはとても充実しているからだ。

「(さて、明日も人間界では変化に富んだ日が待っている。早くレンダーの病気を治せるような薬を作らないとダメだな)」

 と考えていると、いつの間にか眠りに落ちていた。

 

 

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