§第一章 柔らかな光§

【第一節 微風】

 

「パパ、ママ行ってきます!」

 

 午前8時。私とシェルフィアの娘、リルフィは朝陽を受けて城に響き渡る元気な声を張り上げた。背中まで伸びる、私と同じ真紅の髪。純粋さと強さ、そして優しさを秘めたシェルフィアにそっくりの茶色の目。それを見る度に、この子は私達の子供なんだという実感と深い愛情が生まれて来るのを感じる。その想いは、リルフィが大きくなるのと同じように膨れ上がってきた。現在リルフィは8歳で、私達家族が暮らすフィグリル皇国の学校に通っている。そう……父である先代『神』との戦いの後、フィグリル皇国に暮らし始めて既に10年が経過したのだ。

「行ってらっしゃい!」

 私とシェルフィアは同時に笑顔で手を振った。リルフィは嬉しそうに何度も振り返りながら、学校へ向かう蒸気機関車の方へ駆けて行った。この城下町は昔よりも拡張され、新たに発明された蒸気機関の恩恵を受けて人々は高速移動できるようになっている。そして、ここでハルメス兄さんと再会した210年前にそうだったように、私の指示で街全体を『白亜』の美しい外観に戻した。

 あれから、争いは一度たりとも起こらず平和な時が緩やかに流れている。かつて……『魔』に虐げられていた人間達も見てきたが、今に生きる人々は夢と希望に満ち溢れているのが分かる。

 勿論私とシェルフィア、リルフィも今……他に望む事など何も無い。互いの存在を確かめ合い、平和の中で安心して……ずっと一緒に生きていけるからだ。

 そして、私達は目を合わせた。

「さぁ、見送りも済んだし私達も行きましょ!」

「ああ、今日も一日頑張ろう!」

 城の入り口までリルフィの見送りに来ていた私達は、手を繋ぎながら城の中へ戻って行った。私とシェルフィアの心は変わらない。210年前に『永遠の約束』を交わしてからずっと……私達に変わった事と言えば、お互いの左手薬指にプラチナで出来た結婚指輪が光っている事ぐらいだ。

 今日も私は皇帝として世界を治める仕事を行い、シェルフィアはフィグリル城の料理長として働く。彼女は本来なら料理をする必要などないのだが、元々好きな事であり私とリルフィにより美味しいものを作るために日々精進しているのだ。勿論、世界についての重要事項を決定する時には彼女も参加する。

「今日の授業参観楽しみね。リルフィ、ちゃんと先生の質問に答えられるかな?」

 お互いの持ち場に就く前にシェルフィアはそう言った。10年前から変わらない私の好きな瞳、肩より少し下まで伸びた柔らかな金の髪。今も尚、そしてこれからも彼女に対する愛しい気持ちは不変だ。

「はは、心配いらないよ。私達の自慢の娘なんだから」

 これが俗に言う親馬鹿というものだろう。しかし、自分の子供が可愛いが故に期待してしまうのは仕方ない事なのだ。

「ふふ、それもそうね。本当に……優しくていい子に育ってくれて嬉しいわ」

 そう言いながら彼女は幸せそうに微笑む。私は周りに人がいない事を確認してから、シェルフィアにキスした。

 私は、最愛の妻と娘に囲まれて世界中の誰より幸せだ。

 

〜穏やかな日常〜

 私は今日の仕事の手初めに、まずは世界中から集ってくる『報告書』や『意見書』に目を通した。各地の現状や改善点、新技術の開発状況などを理解する事が目的だ。毎日書類は数百枚に及ぶが、大体1時間程で把握出来るので今は一人で何とかなっている。しかし今後書類の査読も含め、皇帝としての仕事量が大幅に増えれば流石に一人では無理だろう。その時は人間達にもっと多くの事を任せなければいけないな。そんな事を考えながらも、今日はリルフィの授業参観なのでいつもは一日かけてやる仕事を午前中に終わらせた。

「コンコンコン……皇帝、ミルドよりセルファス様とジュディア様がお越しです」

 ミルド、全ての始まりの地。私が堕天し、フィーネと出会い……旅立ちを決めた場所。そしてミルドの丘は、死してもなお消えない愛を誓い……生まれ変わっても再び巡り会う『永遠の約束』の場所だ。

「どうぞ」

 私がそう言うと、ドアは遠慮なく開いた。こんな開け方をするのは世界にセルファスぐらいのものだ。

「よう、ルナ!相変わらず皇帝は大変そうだな!」

 と、セルファスこそ相変わらず陽気に私の肩を叩いた。元々少し大柄だったが最近更に逞しくなった気がする。

「そうだな、ある意味天界での勉強の方が楽だったよ。勉強は自己責任だけど、皇帝としての仕事は多くの人の事を考えなければいけない。それがたまに重荷と感じる時もあるな。でも、自分も含む皆の幸せを想えば多少の辛さは何ともないさ」

 私はそう言って笑顔を見せた。

「流石ルナね、でもそろそろ支度した方がいいわよ!」

 セルファスと共に現れたのはジュディア。リルフィが生まれた1年後、二人の間には『ウィッシュ』という男の子が生まれた。現在彼は7歳で、リルフィとは幼馴染だ。今日、セルファスとジュディアがミルドを離れてここに来たのは息子の授業参観を見る為だ。

『学校』は各街に一つずつあるが、月に一度『フィグリル中央学校』で任意参加制の世界規模の交流会(授業)がある。これは子供達の視線を世界に向けさせる事が狙いだが、友達も多く出来るので子供にも受けがいい。そして、授業は誰が参観してもいい事になっているのだ。

「ああ、シェルフィアも呼んで来る!」

 私はそう言って厨房まで駆け出した。そして、シェルフィアと合流して少し急いで昼食を食べて城を出発した。学校までは、機関車を使って10分程の距離だ。勿論私は空を飛ぶ方が早いが、セルファス達の翼は消えつつある。私が天界の維持を放棄し、人間界と融合した時点から天使達は時間と共に力を失ってきているからだ。まるで、それを補うかのように人間界では科学技術が発達した。何にせよ、平和ならば力を使う必要も無い。私達は談笑しながら『フィグリル中央学校』へと向かう機関車に揺られていた。機関車には、世界各地から授業参観に出席すると思しき人が多い。

 しばらくして私達は、世界で随一の講堂規模を持つフィグリル中央学校に到着した。

 

「皆さん!この問題を解く為に必要な事は何でしょうか!?わかった人は手を挙げて下さい!」

 沢山の生徒達が座る広い講堂に隅々まで響き渡る声を出しているのは、20代前半の人間女性の新米教師だ。現在、各地にある学校で勉強を教えているのはほとんどが人間だ。人間は、元天使達の知識を吸収して以前よりも博学な者が増えた。無論元天使達は、何もしていないわけではなくちゃんと学問、技術の向上に貢献している。

 世界は、皇帝として私が治め……元天使と人間達によって更なる発展を目指しているのが現状だ。それよりも……

「はいっ!」

 リルフィが誰よりも早く、元気良く手を挙げたので私とシェルフィアは驚いた!

「はい!」

 そのすぐ後に、セルファス達の息子ウィッシュが挙手した。

「じゃあ、リルフィちゃんとウィッシュ君黒板に書いて下さい!」

 教師がそう言うと、二人は小走りに前の黒板へと向かった。

「(リルフィ、頑張れ!)」

 私とシェルフィアは小声で囁き、息を呑む。隣では、セルファス達も同じ様子だった。

 この問題は数学だが、発想力を問われるものだ。しかも、7歳や8歳で解けるレベルでもない。リルフィの代わりに私が解きたい衝動に駆られたが、ここは娘の力を信じてあげないとな……

「はいっ、リルフィちゃん正解!先生が言う事は何も無いわ。ウィッシュ君、惜しいわね。あと一歩よ!」

 その瞬間、リルフィは私達の方を嬉しそうに見た。同時に、ホッとしたがウィッシュとセルファス達はガックリ来たようだった。

 その後も授業は滞りなく進んでいった。リルフィは全ての教科で最優秀の成績で、ウィッシュは全てで二番だった。かつて、私が天界にいた時は自分の能力が他者と違う事が嫌だった。特別視されるのも辛かった。

 しかし、今の人間界は誰かを隔てるような考えを持つものはいない。人にはそれぞれ役目があって得意分野がある。皆が協力しあって世界は構成されていると思っているからだ。『不必要な者』など誰もいないのだ。だから、リルフィの能力も誰かに妬まれるような事はない。リルフィの力も、この世界に必要な大切なものの一つでしかないからだ。ただ、ウィッシュはリルフィには負けたくないらしく日々頑張っているようだが。幼馴染で、自分は男の子だからと思っているみたいだと聞いた事がある。

 

 授業参観が終わり、今夜はフィグリル城で久々の会食を行う事になっている。セルファス達は勿論、現在リウォルを治めているノレッジも来る予定だ。リウォルは、かつて禁断の兵器が使用され私が沈めたリウォルタワーの跡地からオリハルコン等の珍しい物質を採取する。その為、学者が多く集まり世界の技術進歩の最先端を行く街となった。

 また、あの街は思い出深い……街には、フィーネが私の腕に抱きつく像があるし、私とフィーネが初めて愛を確認し……後に婚約を果たした湖も近くにある。人間界には思い出が多いとつくづく思う。

 ノレッジの他には、人間も数名参加する。人間の中で特筆すべきは、『知識の街リナン』を治めるディクト・リナンだ。彼は生粋の人間でありながら深い知識を持ち、私に対しても意見を出してくる貴重な人物だ。『知識の街リナン』は、10年前に天界と人間界が融合した際に『天界と人間界の書物』を全て一箇所に集約する目的で作られた。そうする事で『知識』の研究をより深く効率よく行う事が可能となった。実際に、この街が現在の技術躍進に果たした役割は大きい。

 

 そして、陽も落ちて会食の時間になった。

「皆様、本日もお忙しい中ようこそお集まり下さいました!人間界の今後の繁栄を願って……乾杯!」

「乾杯!」

 セルファスが乾杯の音頭を取り、場にいる皆が杯を交わした。このような会食は不定期に行われる。大体が、私達家族とセルファス達、そしてノレッジの都合が良い時だ。今日はリルフィとウィッシュの授業参観なので、夜は会食という事が前々から決まっていた。

 この日も、美味しい食事と酒……そして音楽隊の演奏で楽しい時間が流れた。食事と酒はシェルフィアが苦心を重ねた末に生み出された最高のものだ。私は、シェルフィアがまだフィーネだった時から料理を食べさせて貰っているが、今日の味も忘れられない程心がこもった料理だったと思う。音楽もまた発達した。様々な楽器が現れ、同時に多用な楽曲が描かれた。それは、人々の心が豊かになっている証かもしれない。会食も終わりに近付き、一人の人間が私に声をかけた。

「皇帝、少しお時間を頂けますか?」

 知識の街リナンを治めるディクトだ。年齢は確か57歳。髪は白髪だが、歳の割に精悍な顔付きをしている。その彼が何か真剣な表情をしてそう言ったので、私は頷き人の少ない窓辺の方へ移動した。

「どうした、何かあったのか?」

 私は彼の目をじっと見据えた。すると、ディクトは静かに首を振ってこう答えた。

「いえ、皇帝がご心配されているような事ではありません。唯、世界の街々からの報告を受けて調べた結果……僅かばかり例年と違う傾向が見られました」

「それは具体的にどういう事だ?」

 私がそう訊き返すと、ディクトは静かに答えた。

「そうですね。全て局所的なものですが、漁の不作……作物の立ち枯れ、流行の病、後は子供を授からない夫婦の増加等です。これらは世界全体から見ると、影響のある程のものではないですが私には皇帝に全てを報告する義務がありますので」

 そう言って、ディクトは頭を下げた。とても礼儀正しく律儀な人間だ。

「そうか……報告ありがとう。確かに気にする程の事ではないかもしれないが、ディクトはこの事態をどう読む?」

 私は彼の読みを結構当てにしている。私の35分の1程度しか生きていないのに素晴らしい知識と洞察力を持っている。

「……『何か』が起こる兆候ではないか?と思っております。良い事ではないでしょう」

「そうか……この10年間、本当に何も無く平穏な時が流れた。不思議なぐらいに……だが、今後何が起ころうともこの世界は私が守る。だから、引き続き調査して報告を頼む」

 私がそう言うと、ディクトは強く頷き会食の輪へと戻っていった。

 私もシェルフィア、リルフィと共に皆と楽しく語り合った。昔の事、今の事、そして未来の事を……

 

 

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