【第八節 堕天使の弱点】

 

「チュンチュン」

 壊れた窓からの光と、小鳥の囀りで今日は目を覚ました。二人はまだ眠っている。私は、天界から持参した懐中時計を取り出した。

 本体は純銀で、文字盤にはダイヤモンドがあしらわれている。しかし、この時計は私が生まれる前からある物で、細かい傷や年月を経た変色が見られる。何より、この時計には強い思い入れがあるのだ。

「ハルメスさん」

 私は、その時計を見て再び私に生きる道を教えてくれた天使の事を思い出した。この時計は、1000年前に彼から貰った宝物なのだ。

 少し、感慨に耽っていると時刻は、午前7時になっていた。天界で、毎日そんな時間に起きていたので不思議と目が覚めてしまう。

「リバレス、フィーネ起きろよ」

 私は二人を毛布の上から優しく揺さぶった。

「……はーい」

 眠そうな声で、二人がほぼ同時に返事をしたのには少し驚いた。

 私は、二人が朝の支度をする間一人でこの廃墟の村を散歩する事にした。

「惨いな」

 私は、破壊された家屋の中や、草むらに横たわる死体を何体か見つけた……

 私は、その口を閉ざした村人達がフィーネの目に触れる事を恐れて、一人で埋葬する事にした。それからほんの十分位で、神術を使い地面に大穴を開けて村人を弔ったのだ。

「魔は……人間を殺し尽くすつもりだろうな」

 私は、今まで出会った魔を思い出してそう呟いた。しかし、私はフィーネの力になると決めたのだ。私は思わず剣の柄を握り締めた。

 この先、どんな事が待ち受けているかわからないが、絶対にフィーネとリバレスは守り抜こう。私は宝である懐中時計に誓った。

「そろそろ戻ろう」

 私は、散歩を終えてリバレス達の待つ瓦礫の家屋に帰っていった。

 

「お帰りなさい!」

 パッと花が咲いたような笑顔のフィーネに私は迎えられた。

「ただいま」

 私も、軽く微笑んだ。

「(ルナ、最近表情が柔らかくなったわねー?どうしたのー?)」

 とリバレスのからかう声が頭に響いた。

「(うるさいな!私が笑うのがそんなに気に入らないのか!?)」

 と、私もテレパシーで返してテーブルの上に座っていたリバレスの頭を指で小突いた。

「痛いー!フィーネー、ルナがいじめるのー!」

 と、リバレスは大袈裟に叫んだ!

「あらあら、ルナさん。リバレスさんをいじめたらダメですよ」

 と、フィーネが困った顔をしたので……

「リバレス!そろそろ冗談はやめよう」

 と、私はリバレスの目を凝視した。

「はーい!もうちょっと遊びたかったけどねー」

 と、残念そうに私の肩の上に飛んできた。

「冗談だったんですか!?てっきり喧嘩をしたのかと!」

 と、フィーネは本当に驚いた顔をした。

「見ればわかるだろ?フィーネ、君は騙されやすいから気をつけるんだぞ」

 人を疑う事を知らないフィーネは、純粋だが少し危うい所もあるので私は注意した。

「よく言われます。でも、私は人を騙したりするのが大嫌いです。だから、私は人に嘘をついたり出来ないんですよ。だから、誰かの嘘も見抜けないんですよね」

 と、ガックリと肩を落とした。

「いや、それがフィーネのいい所なんだ。それで、私達も救われてる」

 もし、フィーネがフィーネじゃなければ恐らく私は人間に力を貸そうとは思わなかったに違いない。

 何より私は、フィーネとリバレスと過ごす今の日常が天界の頃より好きだ……

「そんな事ないですよ!助けられてばっかりなのは私の方です!」

 と、顔を真っ赤にして首を振った。

「もー……早くご飯にして、出発しましょー!」

 リバレスが、私達の様子を見て『キリが無いわねー』と思ったのか、横槍を入れた。

「は、はい!そうですね!」

 

 そうして、しばらくするとフィーネが作った料理が出てきた。バターシュガートーストとスープだった。

「このトーストは……辛いものなのか?」

 私は、バターシュガートーストとやらを口にして思わずそう言ってしまった。名前のイメージとはかけ離れて辛い。

「え!?普通は甘いですよ!」

 と、フィーネはびっくりして私のトーストの一つを取って食べた。

「あ!ごめんなさい!砂糖と塩を間違えました。やっちゃいましたね!」

 と、フィーネは恥ずかしそうな顔をした。

「フィーネは見た目と違ってドジねー」

 そこに、リバレスの一言が入った。人の事を言えるのか?そして、フィーネは朝食を慌てて作り直そうとする。

「フィーネ、このままでいいよ。十分に美味しいから」

 と言って、私は辛いパンと甘いスープを一気に食べたのだった。

「ルナさん、優しいんですね」

 と、何故か目に涙を溜めたフィーネがそう言った。

「どうしたんだ!?悲しいのか?」

 私は驚いて思わず訊いてしまった。

「……いいえ、嬉しいんです。私……ルナさんだけは、信じていけそうです」

 頬を朱に染めて、本当に嬉しそうにフィーネは食器を片付け始めた。

「(私が何かしたのか?)」

 私は思わずリバレスに訊いてしまう。

「(相変わらず鈍いわねー……女心がわからないんだからー)」

 と、リバレスはフィーネの方に飛んで行ってしまった。

「人の心はどれだけ勉強しても、わからない事が多いな」

 と、私は一人で呟いていた。

 

〜出航〜

 朝食も終わり、私達は村を出発する事にした。

「次は何処へ向かうんだ?」

 私はいつも通り、地図を広げるフィーネに問い掛けた。

「それが」

 何故か、フィーネの表情は曇っている。

「どーしたのー?」

 その様子を察してか、リバレスが気遣うように訊いた。

「はい、この村の人達はみんないなくなってしまったので、他の土地へ行く手段が無いんですよ」

 なるほど、地図を見ればわかる。このルトネックの村は孤島で、交通手段が船しか無いのだ。となると……

「それなら、レニーの街からの使者を待つか『リウォルの街』へ進むしか無いんだろ?」

 私は地図を見てそう訊いた。ここから一番近いのは、東の海に浮かぶ不気味な火山跡で『死者の口』と呼ばれている島らしいが……

「そうですね。でも、きっと、レニーからは誰も来ないですよ。私達を送ってくれたおじさんは……魔物に襲われましたから」

 となると、私達の道は南西およそ500kmにある『リウォルの街』しかないな。

「それなら、リウォルの街へ行こう。船着場には船が数隻あったしな。一隻ぐらい拝借しても構わないだろう」

 私がそう言うと、フィーネは微笑んだ。私が率先して先へ進もうとするのが嬉しいのか、進む道が決まった事が嬉しいのかはわからないが。

「行き先は『リウォルの街』で決定だけどー、『死者の口』ってなーにー?」

 と、リバレスは唐突にフィーネに尋ねた。

「そこは……その場所から、魔物が現れてくるって噂なんです。だから、誰も近付けないんですよ」

 フィーネは身震いしながら言った。その場所はよほど恐ろしい噂でもあったんだろう。

「いずれは魔物を倒しに、そこへ行かなければならないかもしれないな」

 私は剣を握り締めて、フィーネに微笑んだ。

「はい!私はルナさんとリバレスさんが行くなら何処へでもお供しますよ!」

 身の危険も恐れない。相変わらず、強い女性だと私は感心していた。そして、私達は瓦礫の中を船着場へと歩いていった。

 

 船着場には船が三隻見えた。どれも似たような作りで、全て木造の帆船だ。全長は10m位の小型船だった。

「さぁ、行きましょう!」

 フィーネは真っ先に船に乗り込む。天気は快晴、出航日和だ。吹き寄せる風と潮騒が心地良い。

「待てよ、あんまり急ぐと危ないぞ!」

 と、走るフィーネを私は心配して注意した。

「大丈夫ですよー!」

 彼女は振り向きながら笑顔で駆けていった。

「まだまだ、子供ねー」

 と、横でリバレスが腕組をしながらウンウンと頷いている。

「お前も子供だろ?一緒に飛び回ってこいよ」

 私はリバレスの頭をポンポンと叩く。

「ムカッ!でも、たまには飛び回るのもいいかもねー!」

 子供扱いに腹を立てながらも、リバレスはフィーネと共に遊んでいた。平和な光景だ。私はその間に、錨を引き上げて帆を張った。この二つは人間界の船を扱う人々を見て覚えた事だ。陸からどんどん離れていく。

「さて、フィーネ。操縦は頼んだぞ」

 私は走り疲れているフィーネの肩を叩いた。

「えっ!ルナさんが操縦してくれるんじゃないんですか!?」

 フィーネは呆気に取られた表情を見せる。

「天使だった私が、船を運転出来る筈がないだろ?」

「えーっ!?それじゃあ、リバレスさんは!」

 フィーネがリバレスの方を向いて叫ぶ。

「こんなに小っちゃいわたしに船の操縦なんて出来る訳無いでしょー!」

「でも、変化したら?」

 フィーネが尚も食い下がる。

「変化は疲れるのよー!それに変化した所で、操縦技術は無いから無駄なのよー!フィーネ、冗談はやめて早く運転してよねー」

 リバレス、珍しく真顔でフィーネにそう言った。

「えぇーっ!そんなぁ!単なる村娘が船の操縦なんか出来るわけないじゃないですかぁ!」

 と、フィーネは必死の形相で叫んだ。

「どーするのよー!?陸はもうあんなに遠いわよー!」

 あっという間に陸は小さくなっていた。

「漂流決定だな」

 私は、甲板の手すりにもたれながらそう言った。

「何でそんなに冷静なのよー!?」

 リバレスが、私の頭の周りを飛び回る。

「一応南西には向かっているようだし、食糧も一週間分くらいはある。まぁ、何とかなるだろ」

 私はそう答えた。羅針盤で確認すると船は南西に向かっている。このまま行くと二日もあれば着くはずだ。

「そうですね。ルナさんがいれば大丈夫な気がします」

 と、フィーネはさっきまでの慌てぶりを失い微笑んだ。

「二人とも呑気過ぎー!わたしはESGのお陰で大丈夫だけど、ルナは弱体化してるのよー!フィーネは普通の人間だしー……知らないわよー!どうなっても」

 リバレスのその声も風の音でゆっくりと消えていった。船は静かに進んでいくのだった。

 

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