〜血塗られた鉱山〜

 私と指輪のままのリバレスは薄暗い鉱山の中に足を踏み入れた。入り口から内部の奥深くまで、壁には松明の灯とロープが続いている。このロープは足場の悪い所を通る時や、非常時の脱出などに使われるものだろうか?その真意はわからないが、最深部まで続いているのは確かだろう。しかし、それよりも私は異様な雰囲気を直感で感じていた。普段なら、作業員達の声でこの鉱山内部は賑わっているのだろうが、何の音も聞こえない。常人ならば、気の狂いそうな程の静寂……その原因は、奥へと歩を進めて5分ぐらいで理解した。

「……やはりか」

 私は、足元に惨殺された人間の男の死体を見つけた。全身に深い切り傷があり、特に胸部が深く抉られている。そこから流れ出た血液が大きな水溜りのようになっていた。その水溜りはまだ凝固しておらず、死後時間の経過が少ないのを物語っている。死体は中年ではあるが、鉱山で働く屈強な男がここまで傷めつけられるのだ。人間如きにつけられる傷ではない。間違い無く『魔』にやられたものだ。

「(ひどいわねー……やっぱりルナ、あの女のために『魔』と戦うなんて馬鹿げた事はやめて帰りましょーよ!)」

 リバレスは、死体を見て私の気が変わるだろうという期待を抱いて叫んだ。

「(約束は約束だ……人間との約束はこれで最初で最後にするから。行くぞ)」

 私は、リバレスに答えると同時に自分にもそう言い聞かせ、真新しい死体を背にさらに奥へと歩んでいった。すると、今度は広い空間に着いた。そこは血の匂いがたちこめる死の空間だった。

「……何てことを!」

 私は、思わずその光景に怒りさえ覚えた。いくら、殺されているのが人間であるとは言ってもこれは余りに酷過ぎる!ある者は切り裂かれ……またある者は引き裂かれ……生きながらに燃やされ……その無念と絶望と苦しみの表情は筆舌に尽くし難いものがある!

 殺された者達は、恐らく十数名……死体は原形を留めていないのでわからない!

「酷過ぎるわー!」

 リバレスは耐えきれず、元の姿に戻り叫んだ。その顔は恐怖と悲しみに満ちている。心を持つ者であれば、この状況で何も感じない者はいないだろう。私の心の中には少なからず、死人への同情と魔への憎しみが沸いてくるのを感じた。

「急ごう、フィーネの父親だけは助けると約束したからな!まだ生きているかもしれない!」

 私は、人間を救う気など毛頭無いがこの状況だけは許せなかった。せめて、私を助けたフィーネの父親は連れて帰らなければ!

 今まで、フィーネに似た男は一人もいなかったので生きている望みを持って足早に奥へと進んだ。

 そして、最深部……鉱石を採掘する現場に到着したのだった。いや、それが遠目に見えただけだ。距離にして残り100m程はある。しかし、そこには目を覆いたくなるような凄惨な場面が繰り広げられていた。

 

「ヒャハハハハハハハ!死ね!ゴミ人間どもが!貴様らの存在は邪魔なんだよ!」

 獄界から現れし『魔』……その姿は異様で、黒褐色の皮膚……天使とも人間とも違う、不気味な姿だった。背丈は2mを超え、五肢には分かれているが、全て厚い筋肉に覆われている。また、長い尾がありそれも強力にしなっている。何より特筆すべきは、頭部……白濁の瞳、鋭く長い牙、窪んだ鼻と似つかわしきもの、尖った耳……その『魔』が、人間を紙屑のように切り裂き……噛み砕き……何らかの術で、激しい炎を発生させている。そして、続けて瞬く間に一人の男に飛び掛った!

「フィーネー!」

 それが、その男の断末魔だった。男は魔の腕から伸びる長い爪に胸部を貫かれたのだ。そう……手遅れだった!

「……すまない、フィーネ、君の父親は救えなかった」

 私とリバレスは、その地獄へと駆け寄っていたが間に合わず……無残にも、この鉱山にいた人間は全滅したのだ。

「お!また人間か!殺してやるぜ!楽しくてたまらねーよ!」

 魔は、私達を発見した。しかし、私の心は憎しみに満たされ戦う事に躊躇いは無かった。

「獄界の住人は、こんな愚物ばかりか!?リバレス、少し離れてろ!」

 私は、リバレスに叫んだ。魔はこちらに猛スピードで向かってくる!

「わかったー!」

 その言葉と同時にリバレスは、私の側から瞬時に飛び去った。その直後、魔の牙が私へと襲いかかる!

「キンッ!」

 私はその瞬間にオリハルコンの剣で牙を打ち砕いた!魔は、不意を突かれ驚愕の表情で私から飛び退く!

「グッ!貴様……人間じゃないな!……まさか天使か!?」

 魔は醜い口から緑色の血を流し、私に罵声を浴びせた。

「……生憎……堕天はしているが、平然と生命を奪う……お前のような下等な者と話す口は持ち合わせていないんだ。早々に獄界へ帰れ!」

 私は、柄にも無く感情的になって叫んだ!人間の為などではない。生命の自由を奪う事を許せない私自身の怒りがそう叫ばせたのだ!

「……堕天使の分際で……死ね!」

 その咆哮と共に、奴の口から炎が吹き出た!真っ直ぐに私に向かってくる!しかし私は、剣を持たない左手を前に突き出し中級神術である『天導炎』を放った!炎と炎がぶつかる!

「ゴォォ!」

 激しい熱が発生したが、私の炎が圧倒的だった!この炎の威力から、奴の力が低級である事は明快だ。堕天はしていても、天使である私は低級魔如きには負けない!私の炎が魔を包んだ!

「ギャアァァ!」

 もがき苦しむ魔の絶叫がこだまする!

 

 ……その絶叫が終わった時、私は我に返った。

「……私は、魔を殺してしまったか」

 私が呆然としていると、リバレスがすぐに飛んできて話しかけた。

「ルナー!大丈夫ー!?」

「ああ……大丈夫だ。それより、私は魔を殺した上に約束も守れなかった」

 私は、生まれて初めて魔とはいえ生命を奪った事……そして、人間とはいえ約束を守れなかったことに多少の自責の念を感じていた。

「仕方ないわよー!ルナが戦わなきゃ、ルナが殺されてたかもしれないしー!それに、約束もどうしようもなかったわよー!」

 彼女は、私を心配そうに慰めた。だがその時!私は背後……ここにやって来た道の方に気配を感じた!

 

「……化け物……ルナさん、あなたも魔物なんですか!?魔法を使うなんて!それに、妖精?」

 聞き覚えのある声がした。そこには、血の気が引いて恐怖に凝り固まった表情のフィーネが呆然と立っていたのだった!人間に私達の事を知られるのはまずい……だが、見られた以上は説明して口止めしなければ!

「……見てしまったんだな!……だが、私は化け物でも『魔』でもない。と同時に人間でもない」

「わたしも、妖精なんかじゃないわよーだ!」

 魔や妖精扱いされるのは嫌だ。しかし、天使である事を明かすわけにもいかない。しかし、フィーネは私達の言葉など上の空だった。

「……それより……お父さん!お父さん!」

 私は、フィーネが突然現れたので頭が困惑していた。そうだ……彼女にとっては私達の正体よりも、親の安否が大切に決まってる。私は約束を守れなかったのだ!彼女は、父の亡骸へと駆け寄っていった。

 

「お父さん?お父さぁぁ……ん!」

 彼女は声の限りに泣き叫んだ。生きているはずも無い父の骸に抱きつき、顔をうずめながら泣いている。私は心が痛んだ。

「……すまない。手遅れだったんだ」

 私とリバレスはかける言葉も見つからないのでその場から少し離れた。

「どうするのー?ルナ」

 なお、フィーネの泣き声が聞こえる中、リバレスは私に首をかしげて困惑した表情で問いかけた。

「……せめて私達に出来ることは、この危険な鉱山から出るまで見届けることぐらいだな」

 私は、その他にフィーネのために出来ることは無いと思った。

「そうねー……あんまり深入りするのも良くないし、どっかに隠れて様子を見守りましょー。それで、あの子がこの鉱山から出たら私達はもう人間とは無関係ねー」

「そうだな。天使の私が、人間のために動くのはこれで最後だ。行こう」

 私は、まだ心が痛んではいたが、私は『天使』。人間とは関係ない。この鉱山に現れた魔は倒したんだ。これ以上助ける義理はない。

 そして、私達はフィーネに背を向けて歩き出した。

 

「……待ってください!何処へ行くつもりなんですか!?」

 すると、突然涙声のフィーネが私達を呼び止め、私達は振り返った。

「……私達は私達で安住できそうな場所を探しに行く。君には感謝してるよ……だが、さっきの出来事は忘れてもう私達に関わるな。そうしなければ、私は君を……殺さなければならない」

 事実だった。私達の存在を公にされれば、天界や獄界の存在すら知らない人間に、私達天界の住人を知られる事となる。もっとも、それは天界の法でも厳しく制限されているし、何より魔にも恰好の標的にされてしまう。

「……いいえ……私……だけでなく、全ての人達にとってあなた達の力は必要なんです!魔物と戦えるのはあなた達しか!」

 彼女は、殺されるという一言に全く動じず……むしろ、涙を手で拭い強い意志を込めた目で私達に叫んだ。さっき、家で私に料理を出してくれた時の目とはまるで別人だ……

「人間は脆く作られてるからしょうがないのよー!」

 そこで、リバレスが割って入った。少し、怒った口調になっている。それもそうだろう。私達が、人間のために動く理由などないのだから。

「私達の村は……原因不明の悪病に見舞われ……度々魔物に襲われます。それでも、みんな頑張ってこの鉱山で働いていたのに……それが……またこんな事になって!」

 フィーネは再び泣き出した。しかし、すぐに堪えて話を続けた。

「……ウゥ……いいえ……私の村だけではありません。世界中の村や街が同じように!……だから……だから、どうか……力を貸してください!」

 そう言って彼女は私の右手を両手で掴み、哀願した。

「……私達にそこまでする義理はない。料理の礼なら十分に返したはずだ」

 私は、冷たく言い放つしかなかった。そうでもしなければ、この娘は諦めないだろう。

「……そんな……そこを何とか……私なら何でもしますから!
……どうか!」

 悲しみ……苦悩……私達への希望……そんな感情が、必死な言葉を通じて伝わってきた。

「無駄よー。ね、ルナ?」

 しかし、それでも人間が私達の心を揺り動かせはしなかった。

「せめて、この鉱山の入り口までの安全は確保しておくから……村へ帰るんだ」

 私は、掴んでいた手を振り解いた。理由の無い事の為に動く程……私は善人じゃないんだ。そう、自分に言い聞かせ、私はフィーネに背を向けた。リバレスも私に続く。

 

「……私……明日の夕方6時に……あなたが倒れていた丘
……ミルドの丘であなたを待っていますから!あなたを信じて待っていますから!」

 

 フィーネは最後にそう言った。私はこの言葉には答えられなかった。人間は天界で教えられている程、下等な生物なんだろうか?どうしてこんなにも……たった一人の人間の娘が強い心を持てるのか……他人を信じる事が出来るのか?

 

 しかし……『私達は人間に協力する義理も理由もない』
……それが、その時の私の考えだった。

 

 そして、私とリバレスは鉱山を出た。途中危険は無かったので、フィーネも無事に帰れるだろう。嵐はいつのまにか止んでいた。まさか、人間界に来てたった一日でこれだけ多くの事があるとは思ってもみなかった。私とリバレスは疲れ果てて、山の中の森で野宿をすることにした。私が『保護』の神術で私達を包み、それでテント代わりにした。フィーネは最後に「明日、丘で待つ」と言った。だが、私達が行くことはないだろう。

 

 私は天使、フィーネは人間なのだから……

 

 さっきまでの嵐とは打って変わり、今は空に一面の星が出ている。今日はもう眠ろう。明日は何が起こるかわからない。私とリバレスは長い長い一日のお陰で疲労し、余り言葉を交わす事無く眠りについた。

 

 人間界で過ごす200年の重さを噛締めながら……

 

目次 第三節