〜安息の微笑〜

 頭が痛い……体中も痛い……しかし、私は暖かい空気に包まれ薄れていた意識が次第にはっきりしてきた。

「……う……うぅん?」

 私は満身創痍ながらも、意を決して目を開けてみた。

「良かった!気付かれましたか!」

 一人の人間の少女が私を見ている。驚いた!人間の女性の外観は天使とたいして変わらないじゃないか!

 ただ、髪が栗色な所と翼が無いぐらいの差だ。それでも、衣服は比べ物にならないが……

「怪我は大丈夫ですか!?あんな所に一人で倒れていて、本当にびっくりして心配しましたよ!」

 その少女はなおも私を心配そうに見つめている。私は状況を把握するために周りに目を遣ってみた。ここは、レンガ作りの簡素な家……天界の図鑑で見た通りの、人間の住む家屋だ。おそらくはこの少女の住む家……どうやら、私は倒れてからここに運ばれたようだな。今私は、固いベッドの上に寝かされている。シーツの目も粗く、天界のそれよりも遥かに肌触りが悪い。それはそうと……リバレスはどこだ!?

「(わたしはここよー!)」

 その言葉が脳に直接響くと同時に私の右手の薬指が微かに動いた。リバレスは『変化』の神術を使い、私の意識に話しかけているのだ。

「(なぜ、こんなことになってる!?)」

 私は少女に悟られぬよう、リバレスに意識を送った。これは、『転送』の神術の初歩の使い道で、意識を相手に送ることが出来る。『転送』の力を極限まで高めると、私達が人間界に転送されたように、あらゆる物を転送することができる。

「(ルナが倒れたから、合図の光を送ったらこの女が助けにきたのよー!)」

 私がなおも、少女に対して黙っているので彼女は泣きそうになって話しかけてきた。

「……ほんとに大丈夫なんですか!?……しっかりして下さい!」

 少女は私を直視し、私の体を揺さぶろうとしたので私は諦めて口を開いた。あまり、人間と言葉を交わしたくはないのだが……

「……あぁ、大丈夫だが……全身に力が入らない。特に……腹部あたりがおかしいな……痛むのではないんだが」

 私は体の状況を正直に話した。なぜ、こんなに全身に力が入らないんだろうか?傷は大して深くないはずだが……

「あ!きっとお腹が空いてるんですよ!今日の夕食は作り過ぎましたから食べてください!」

 少女は私の体調を見透かしたかのように、笑顔でそう言った。一体私の何がわかるというのだ?

「今、料理を温めてきますから少し待ってて下さいね!」

 彼女は楽しそうに、家の奥の恐らく……炊事場へと消えていった。図鑑で見ただけだから、わからないが……人間が料理するのは炊事場と書いてあったからだ。それよりも……

「(おい……リバレス!私はどうすればいいんだ!?)」

 私は困惑の表情を浮かべ、リバレスに意見を促した。

「(お好きなようにー。でも、これから人間界で暮らすんだから、利用しやすい人間を作るのはいい事じゃないのー?)」

 リバレスはこの状況を楽しんでいるかのような口調だった。自分は変化しているから、他人事だと思って……

「(まぁ、確かにお前の言う事にも一理ある。だが、下等な人間と馴れ合うのは苦痛だ……しかし、それにしてもなぜ人間の言語パターンが私達の言語と一致してるんだろうか?)」

 私はさっきから思っていた疑問を投げかけた。

「(そりゃー、人間も神から創られたからじゃないのー?でも、同じ言葉の方が過ごしやすいじゃない。)」

 つくづく呑気な奴だ。リバレスに難しい質問をした私が間違いだったな。

 

「出来ましたよ!料理には余り自信がないんですけど食べて下さい!」

 少女が帰ってきた。手に料理とやらを持って……これを私に食べろと……今までESGしか摂ったことの無い私に……

「……あ……あぁ」

 私は恐る恐る料理の乗った盆を受け取った。黄色をしたスープと呼ばれているらしい物。図鑑のパンとよく似た物体。さらに、植物や肉らしき物がソテーされている料理……図鑑で、恐ろしいと思った物達が今私の目の前にある。

「さぁ、遠慮せずにどうぞ!」

 少女は満面の笑みで私を見ている。心なしかリバレスも笑っているような気がする。

「(人間はこんな物でエネルギーの補給をするんだな。ESGが恋しい……しかし、私はESGを摂ってはならない。仕方ない!)」

 私は意を決してスプーンらしき物を手に取った。スープを一口、流し込む。すると!

「何だこれは!?」

 私はとても驚いた!こんな感覚初めてだ!口の中が幸福に染まる!この感覚は辞典で確か……『美味い』だったな!

「おいしくないですか!?」

 少女は悲しそうに俯いた。

「いや、その逆だ。私はこんなに『美味い』物を食べたことはない!」

 正直な感想だった。ESGのような瞬時の充足感は無いが、ESGには味はない。私はこの『美味い』感覚に酔いしれた。

「ほんとですか!?それは良かったです!でもちょっと塩を入れすぎたんですけどね」

 少女は再び笑顔を取り戻して、私が食べる様子を嬉しそうに眺めている。

「(いいなールナ。わたしも食べてみたいなー!)」

 リバレスは羨ましそうに私の意識に話しかけた。

「(お前はESGを摂れるからいいだろ?)」

 そんなやりとりが続く中で私はあっという間に食べ終えた。食べるという行為がこんなに幸せだったのは生まれて初めての事だった。

 

「よっぽど、お腹空いてたんですね!お役に立てて良かったです!」

 私が食べた食器を下げた少女は、再び私に話しかけた。さっきまでの私なら人間の女性を冷たくあしらうだろうが、今の私は美味い料理のお陰で若干ではあるが、この少女に感謝の気持ちが生まれていた。

「ああ、お陰様で力が戻ってきた気がするよ。ありがとう。ところで君の名は?」

 私は感謝の辞を述べ、少女の名を聞いてみることにした。

「私はフィーネです。あなたは?」

 少女の名はフィーネ。私はさっきまでよく見ていなかったが、彼女はとても優しい目をしていた。また、幼さ故か純粋さも顕れている。髪は栗色で背中まで真っ直ぐ伸びており、背は私よりも20cmばかり低いだろうか?この少女が私をここまで運ぶとは……人間も意外と力強いのかもしれないな。それはさておき、彼女は私の名も聞いている。果たして、本名を名乗っていいものだろうか?

「私は、ルナだ。ある辺境の地から世界を旅している。……でも私は倒れていてわからないんだが、ここはどこなんだ?」

 私はルナリートの名は伏せておく事にした。無論、天使であることも。さらに倒れていたのを理由に、この地の説明を聞いてみた。

「ルナさんですかぁ。変わってるけどいい名前ですね。それにしても、あんな嵐の中で倒れるって……旅人って大変なんでしょうね。

 ここは、世界の北西にある鉱山の村。『ミルド村』の私の家ですよ。……あっ!」

 フィーネは急に思い出したかのように叫んだ。

「どうしたんだ?」

 私は冷静に聞いてみた。

「お父さんが帰ってこないんです!鉱山から!……遅すぎるから私、様子を見に行かないと!最近魔物が多いから心配で心配で!」

 彼女はさっきまでの穏やかな表情とは急変して、とても不安な顔になった。

「(獄界の低級魔だろうな……獄界の『魔』はこの『界』を占有するために、獄界から派遣されてくると学校で習った覚えがある。無駄だと思っていた天界での勉強も、満更捨てたものではないようだ。リバレス、私は人間に手を貸す気は無いが、この少女には恩を受けた。せめてもの代償に父親を無事にここまで送り届けてやろうと思うんだがどうだ?)」

 私はリバレスに意識で聞いてみた。

「(ルナがそうしたいんなら止めないわよーでも相変わらず甘いわねールナは!)」

 リバレスは皮肉めいてそう答えた。しかし、そこは長年の付き合い。リバレスは私の考えをわかっている。

「フィーネ、私が代わりに鉱山に行ってやろう。君の父親を連れて戻ってくる」

 そう言って私はベッドから起きあがった。体はほぼ完治している。堕天はしたが、私は天使だ。並の傷はすぐに治る。

「えっ!?悪いですよ!それに病み上がりのあなたじゃ危険です!」

 フィーネは驚いて私の前に立ちふさがった。その表情は真剣だ。

「心配するな。私は、『低級魔』如きにやられたりはしない。鉱山はどこなんだ?」

 私は、ベッドの横に置いてあった荷物から『オリハルコンの剣』を取り出して、実際には重いが軽く振っているように見せた。

「私の家から……南です。本当に大丈夫なんですか!?怪我もしてるのに!」

 彼女はなおも心配している。私の力を知らないのだから無理もないが。

「怪我はもう完治した。君のお父さんはすぐに見つけて戻ってくるから、ここで待ってるんだ」

 そう言って私は玄関のドアを開けた。寒い雨風がすぐに私を襲う。だが、この程度の冷気では私を冷やす事などできない。

「……わかりました。ルナさん!気をつけて!お願いします!」

 フィーネが不安気に私を見送るのを確認して、私は鉱山へと道を急いだのだった。

 

 

目次 第二節