〜思い出の天使〜

 途中で走りつかれたフィーネをつかまえて、私達はフィグリルの神殿へと向かっていた。街の入り口から真っ直ぐに北へと進む。中央の噴水広場を抜けて、左右に規則正しく街灯が並ぶのを見ながら、私達は神殿の前まで来た。神殿の奥の方から、強い力を感じる。

「この中に天使がいる」

 私は独り言のように呟いた。すると、神殿の入り口の衛兵二人がゆっくりとこちらへ近付いてくる。

「失礼ですが……あなたは、もしやルナリート様ですか?」

 何故、私の名を知っている?と言いそうになったが、恐らく誰かが連絡しておいてくれたんだろうと思い直した。

「あぁ、私がルナリートだ」

 私が短くそう返事すると衛兵は顔を見合わせて私に深く礼をした。

「ルナリート様!神官がお待ちです」

 そう言われて、私達は衛兵の後ろに付いて行く。白い神殿の内部は……歩くべき所には赤い絨毯が敷かれてあり、壁には整然と燭台が並ぶ。さらに、大理石と思われる彫像が幾つも並んであった。神殿の上層部へと通じる階段は螺旋階段……本当に天界の建物に似ていた。

「ギィィ」

 そして……神官の待つ扉が、音を立てて開く……

「待っていたぞ……ルナ!」

 部屋の奥の椅子に座る神官……まさか!

「ハルメス……さんですか!?」

 私は、中年くらいに見える神官の傍まで一気に駆け出した!まだ自分の目を信じられなかったからだ。

「おぉ、ルナは大きくなったな。俺は正真正銘、ハルメスだぜ」

 私は、その言葉を聴いた瞬間……懐かしさに涙が溢れた。

「ハルメスさん、よくぞご無事で!」

 私は、大理石のテーブルの上で重ねているハルメスさんの手を握り締めた!

「おいおい、泣くなよ……でも懐かしいな。1000年振りの再会ってわけだ」

 少し年を取って見えたが、間違いなくハルメスさんそのものだった。耳が見えるくらいに切り揃えられた、銀の髪……そして蒼の瞳……

「はい、ハルメスさんが、神官によって存在を消されてから1028年と145日……貴方の事は片時も忘れてはいません!」

 私は溢れ出る涙を拭った。そして、ハルメスさんにもらった銀の懐中時計を、胸の内ポケットから取り出す。

「おぉ、まだそれを持っていてくれたのか!ありがとうな。俺は、お前達には知らされずに人間界に飛ばされた。あれから1000年……早いもんだな。お前が成長したように、俺も年を取ったよ……今じゃあ、3647歳になっちまった」

 ハルメスさんは、再会した事で照れくさそうに笑った。

「私……いや、僕も今では1826歳です。貴方が、天界の教えに反発して神官に裁判を起こされた時は泣きましたよ……さらに、僕達は裁判を傍聴する事も出来なかったですから……僕達が兄のように慕っていた貴方の行方は、誰にも知らされなかったんです!」

 私の一人称が……この人の前ではおかしくなる。でも、ハルメスさんが生きていてくれて……再会出来て本当に嬉しい!

「でも、お前がここにいるって事は俺のように堕天したんだろう?俺の考え方を、ルナだけは理解してくれていたからな」

 少し皺の出来た顔でハルメスさんは申し訳無さそうな顔をした。何でもお見通しだな。

「はい、僕は貴方の意思を受け継いで、天界で神官と戦ったんです!それで、天界を変える事が出来たんですよ!」

 この事を一番聞いて欲しかった人に、ようやく今伝える事が出来た……胸が一杯になる!

「……そうか!ようやく……まぁ、積もる話は後でゆっくりするとしよう」

 私はハルメスさんを前にして話したい事が山程あった。しかし、会話に参加する事が出来ないフィーネとリバレスにも気を遣わねば……

「もう一つだけ聞かせて下さい!なぜ……貴方は堕天の刑に服していたんなら、連絡してくれなかったんですか!?堕天の期間は、恐らく満了している事でしょう?」

 私はどうしてもそれを聞きたかった。ハルメスさんは、死んでしまったのかもしれないと心配していたからだ!

「……それについてはすまないと思ってる。俺は、1028年前のあの日……堕天の刑を受けた。期間は500年……でもな、堕天してから100年間、人間界を全て見て回ったよ。その中で、一人の人間の女性に恋をした。その人と過ごした。天使にしては短い年月……それでも幸せだった。そして、人間界が好きになったんだ。俺は、そんな日々の代償に『天使』の指輪を失った。だから、天界には帰れない。いや、帰らないと言った方が正しいな。俺は、これからも人間と共に生涯を全うするつもりだ」

 遠い目で、ハルメスさんはそう語った。その淡々とした口調の中に隠されている強い意志を私は感じた。

「……そうだったんですか。僕もその気持ちは少しわかります」

 私は、横にいるフィーネを見ながらそう答えた。私も、フィーネの命の為ならば『天使の資格』など安く感じるだろう。

「なるほどな。本当に、お前は俺にそっくりだよ。強い心を持った顔つきも……考え方も……隣には人間の女性もいるしな」

 ハルメスさんは、目を細めて私とフィーネを見て何度も頷いていた。

「僕はハルメスさんを目標にして生きてきましたから。でも、僕は、堕天の200年が終わればきっと天界に帰ると思います。 僕は、この世界で永住出来る程の強い心は持っていないですから」

 私は少し俯いて、謝るようにそう言った。200年後にはきっとフィーネはいない。だから、きっと元の世界に戻るだろう。

「いいんだ。お前に永住なんて強制出来はしないさ。でも、200年なんてあっという間だぞ、経験者の俺が言うんだ。それはそうと……そちらの女性と、お前の指輪に変化している天翼獣も紹介してくれないか?」

 この人は、昔から鋭かった。この人の前では、隠し事なんて何も出来はしない。

「フィーネです。ミルド村から来ました。宜しくお願いします」

 そう言って、困惑顔をしているフィーネは深く頭を下げた。

「(何でわかるのよー!?)リ……リバレスです。初めまして」

 元の姿に戻って、驚いた顔をしながらリバレスは躊躇いがちに挨拶をする。

「はっはっは……いい仲間達だ。お前も、今は人間界が楽しいだろうなぁ」

 私達の様子を見たハルメスさんは嬉しそうに笑った。

「はい、思ったよりもずっといい世界ですね。それに、僕は今『魔』と戦っています」

 私は、チラッとオリハルコンの剣の柄を見せた。

「ああ、お前の話は聞いていたよ。会いに行きたかったけど、俺はこの街に結界を張ってるから、なかなか離れられなくてな」

 確かに、この街には巨大な結界が張られている。あれ程の力を維持するんだ。離れられないのも無理がない。

「そんな事は気にしなくていいですよ!今、こうして再会する事が出来たんですから!」

 私は、思わずそう声を上げた。会える筈の無い人に会えたんだ、理由なんてどうでもいい。

「ははっ!そうだな。今日は、宴会にしよう!神殿の者達に用意させるから、お前達は来客用の部屋でゆっくりしていてくれ!」

 そうして、私達は神殿で一番豪華な客室に案内された。ベッドが三つと、本棚。さらに天井にはシャンデリアが吊るされている。部屋に入ると、疲れたような声でリバレスが私に話しかけた。

「もー!ルナ!あの天使とはどういう関係なのよー!?」

 話が全くわからなかったのだろう。無理もない。

「あの人は、1000年ぐらい前に私がとてもお世話になった人だよ。私にとっては、兄みたいな……お前が生まれる前の話だから、無理もないな。私が、いつも持っている時計と本……あれをくれた人だよ」

 私は、ハルメスさんの事を簡単に説明した。全てを話すには時間が幾らあっても足りない。

「ふぅーん……ルナ、言葉遣いが元に戻ってるわよー!さっきは、『僕』って言ってたくせにー!」

 余り興味が無いのか、私の言葉の方をからかうように指摘してきた。

「そうだなぁ……あの人の前では、どうも自分がまだ子供のように思えてくるんだ。あの時は、私は学校にも行ってなかったからな」

 私は苦笑を浮かべながらそう答えた。私のこんな所を見せるのは、フィーネは勿論リバレスにも初めてかもしれないな。

「あのぉ……私には何が何だか全くわからないんですけど」

 そこで、首を傾げているフィーネが私に問いかけた。確かに、私とハルメスさんの事……そして、1000年前の天界の事は最初から説明しないとわからないと思い、ハルメスさんに宴会に呼ばれる迄の時間に説明する事にした。

 

目次 続き