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 雪那は緋月が風呂に入った後、鞄からビニール袋を取り出した。その袋を、緋月から受け取ったパジャマの中に隠す。新しく買って来た下着である。真っ白で、シンプルなレースが施された、上下セットのものだ。

「時間が無かったから、あんまり可愛いの無かったな」

 緋月の家に泊まりに行くのに、着替えが無いなんて有り得ない。本当は、可愛いパジャマも用意したかったけど、流石に鞄に入らないから諦めた。

 この下着、緋月に見せる事になるんだろうか? 私は、自分がどうしたいのか良く解らない。唯、緋月と一緒に居たい。その一心で来たから。理想は、緋月に寄り添って眠る事。今日は、抱き枕なんか要らない。一番抱き締めたい人がちゃんと居るから。

 

 緋月が風呂から上がっても、二人は言葉を殆ど交わさなかった。雪那は動揺を隠す為に、脱衣所に駆け込んだ。誰も居ないのは解っているが、服を脱いで風呂場に入るのには緊張した。彼女は、湯気が籠もる風呂場の中で蛇口を捻った。

「緋月の家のお風呂場、久し振りだなぁ」

 昔は、シャワーがもっと上の位置にあった。私が大きくなったからなんだけど、どうしてもお風呂場が小さくなってしまった気がする。

 緋月と出会って十三年か……。小学校の低学年ぐらいまでは、一緒にお風呂にも入ってたな。最後に泊まりに来たのは、確か小学校最後の夏休み。結局眠らずに、朝までゲームをしたり喋ったり。その時には玲花ちゃんも居た。

 雪那は今までの事を思い出しながら、体と髪を念入りに洗い湯船に浸かった。そして、白く霞む天井の中央で光る橙色の電灯を見詰める。彼女はその電灯も好きだった。雪の中で光る月のようだったからだ。雪那は目を閉じて、小さく呟く。

「決めた」

 緋月が求めるなら、私はそれに応えよう。それで私達は変わったりしないから。

 

 雪那は、風呂を出てリビングに向かったが、其処に緋月は居なかった。テレビも消えており、一階に人が居る気配は無い。緋月は、自分の部屋に居るのだろう。

 掛け時計に目を遣ると、午後九時を回っていた。まだ寝るには早い時間だ。

「もうっ、何で下で待っててくれないの」

 女心が解ってない。これじゃあ、私は一人で緋月の部屋に行かないといけないじゃない。でも、部屋の暖房が消えてないだけマシかな。

 雪那は冷蔵庫から牛乳を取り出し、グラスに入れて飲み干す。それをサッと水洗いし、暖房を消した後に彼女は階段の下に立った。彼女には、長く険しい坂に見えた。

「行くしか無いわ」

 どうせなら、静かに階段を上って驚かせよう。

 雪那は、猫のように足音を殺して階段を上る。何処を踏めば音が鳴らないか、彼女は良く知っている。

 

「ガチャ」

 

 内開きのドアを開けて部屋に入ったのに、緋月が居ない。あれ?

「雪那!」

 私は急に後ろから抱き竦められた。ドアの裏に隠れていたのね!

「ん!」

 緋月に体を反転させられ、唇を奪われる。キスは嬉しいけど、こんなに強引なのは緋月らしく無いわ。

「待って!」

 雪那が体を捩ってそう叫ぶと、緋月は直ぐに彼女を離す。我に返ったらしい。雪那はホッと胸を撫で下ろし、もう一度彼に口付けをした。

 抱き締めてくれている緋月の温かみ、腕の、胸の、唇の温かみが私を溶かす。私達は、抱き合ったまま緋月のベッドに横たわる。

「さっきはごめん、どうしていいか解らなくて」

 頭を掻く緋月。やっぱり、緋月は優しい。私が嫌がる事は絶対にしない。

「いいよ、ちょっとびっくりしただけ」

 雪那は上目遣いで甘えた声を出しながら、緋月の背中に手を回した。緋月は左腕に彼女の頭を乗せ、右手で彼女の黒く滑らかな髪をそっと撫でる。

 緋月の部屋、やっぱり落ち着くな。壁に掛けられた、今までに賞を取った絵。カーペットの上に散乱してる参考書や漫画。どれも見覚えがある。知らないものが無い部屋だから、まるで自分の第二の部屋みたいだ。

 緋月の目は穏やかで、いつもと同じ私を労わってくれている目。堪らなく愛しい。私はまた緋月と唇を重ねる。今までに何度キスしただろう? きっと千回以上。

 そのまま二人は布団を被ったまま何度も転がり、体を寄せ口付けを交わした。

 

 このまま私が、一緒に寝ようって言えば、緋月はきっとそうしてくれる。緋月は無理に私を求めて来たりしない。このままでいい、そう思う。でも、私から緋月を受け入れる素振りを見せなければ、ずっとこのままだ。いつかは一線を越える時が来るなら、それが今日でもいい……

 雪那は不意に起き上がり、ベッドの脇にあるカーテンを閉めた。そして、常夜灯のみを残し電灯を消す。

「雪那?」

 暗くなった室内。緋月の顔が朧気にしか見えない。緋月も、私の顔をはっきりとは見えていないだろう。怖いけれど、覚悟は出来た。

 雪那はベッドに戻り、緋月の頭を胸に抱き寄せる。強く、強く。自分の思いを込めて。

 

「緋月、愛してる」

「雪那……。俺も雪那を愛してる」

 

 緋月は雪那のパジャマに手を掛けた。雪那は何も言わず、目を固く閉じたまま、緋月に身を委ねる。

 透けるような肌に、淡雪のような薄い布。雪那が纏っているのは下着だけになった。彼女はそれを見られるのが恥ずかしくて堪らず布団の中に隠れる。

 下着になるだけでこんなに緊張するなんて……。私は胸がそんなに大きくないから、見られたくないな。私だけ裸なんて嫌だよ。

 雪那のそんな思いを汲み取るかのように、緋月も服を脱ぎ下着だけになった。そして、布団の中の雪那を抱き締める。素肌と素肌が触れ合い、体温が直に伝わる。服を着て抱き合うのとは比べ物にならない程、早く確かに熱が交わる。

 緋月、熱い。きっと私も熱いんだ。人間がこんなに温かいなんて、知らなかった。何て幸せなんだろう? これ程、二人が生きているって実感出来る瞬間は今まで無かった。

 何も怖くない。私が緋月の胸に口付けをすると、緋月は布団を(めく)り私の体を起こした。その時、カーテンが僅かに開く。でも緋月は構わずに、私のブラジャーを外そうとする。

 緋月は初めて触れるので外し方が解らず、焦っていた。雪那は微笑み、外し方を彼に教える。緋月が彼女の背中側にあるホックを外し、安堵の溜息を吐いた時、雪那の目には別のものが映っていた。

 

「……緋月。ねぇ見て、あの月」

 

 雲の切れ間から見える、雪那が好きな真っ白な月華。緋月はそれよりも、雪那の華奢で妖艶な肢体に目を奪われていたが、雪那の顔を見て息を止めた。

「あの月は、私達が初めて会った時から何も変わらない。川に落ちた日に見た月、向日葵畑で見上げた月、花火大会で見た月」

 私は涙を流していた。止まらない。何で泣いてるの。嬉しいから? ううん、違う。嬉しいけど、もっと別の感情が私の奥底から涙を溢れさせてる。

 

 これ以上、緋月に私の熱を伝えちゃいけない。それが悲しいから泣いてるの。

 

 緋月は雪那の涙を手で拭い、そっと抱き締めた。そして二人で布団を被る。

「そうだな。俺達も変わらない。今日は、一緒に眠るだけにしよう」

 雪那は輝く雫を枕に落としながら頷いた。緋月は雪那を胸に抱き寄せ、彼女の息遣いを感じながら髪を撫でる。

 やがて雪那の寝息が聴こえるまで、緋月は髪を撫でるのを止めなかった。

目次 第一章-17