第十九節 際涯(さいがい) A

 

 漂流四日目の夜。昨日、メインマストの帆と最後尾のマストを破損した所為で、未だリウォルには着いていない。昨日から、同じ所をぐるぐる回っているような気がする。

「まだ陸に着きませんね……」

 甲板の椅子に座るフィーネが、ポツリと呟いた。

「そうだな……(それより)」

 空腹の為、ボーっとする。何とか、話す事も考える事も可能だが、それもいつまで続くか解らない。フィーネは元気が無い私を気遣って、話を振って来る。

「ところで、天使様って普段はどんな生活をしているんですか?」

「君が思ってる程、良い生活はしてないよ。短い命を懸命に生きてるフィーネみたいな人間の方がずっと、生きてる実感が沸いて幸せだと思う。私達は毎日同じ事……、勉強や儀式の繰り返しで、生ける(しかばね)のようだった」

 少なくとも、天界に自由が訪れるまでは。

「そうですか? 私には、あなたがそんな世界で生きていたとは思えません。ルナさんは私に元気をくれます。ルナさんが傍にいると、私は何でも出来そうな気がするんです! だから私は、あんなに無茶な行動をしてしまうのかも知れませんね……。そんなに、素晴らしい人、いえ、天使様が生ける屍だなんて」

 月影の下でも解るぐらい、フィーネの顔が赤い。それを見ると、私も気恥ずかしくなる。

「はははっ……。フィーネは変わってるよ。少なくとも、天界で君のように……、自分の命に感謝し、住む世界と住人を想う者は居なかった。君の考えは、私を良い意味で変えてくれた。ありがとう」

 今の正直な気持ち。伝えなければいけないと思った。

「そうねー、フィーネは良い子だもんねー! ね、ルナ?」

 リバレスが物言いたげに私を見る。

「あぁ、そうだな。フィーネは良い子だ」

 上擦(うわず)った声を出してしまった。全く……、余計な事を。

「そんな……、私の方が感謝しても全然足りないのに。ありがとうございます、ルナさん、リバレスさん!」

 彼女は私の手を取りながら、私達に頭を下げる。もう、そんな礼儀は不要だろう。

「フィーネ、そんな他人行儀はもう必要無い。私達は呼び捨てで構わないよ。それに、敬語も要らない」

 リバレスも(しき)りに頷いている。

「え……、ええっと、それは無理ですよ。恐れ多いです。でも……、この戦いが終わったら、そうしてもいいですか?」

「それじゃー、ルナとフィーネの為にも早く戦いを終わらせないとねー!」

 またチラッと私の方を見る。お節介な奴だ。

「ああ。その為には、もっと頑張らないとな!」

 フィーネは私の目を見て、はにかみながら頷いた。

 

 眩暈がする。朝も、昼も解らない。今日は、何日目だ? ああ、六日目だ。

「フィーネ、リバレス。私は限界のようだ……」

 二人の気配が近くにある。視界がぼやけて、何も見えない。音も遠い。

「どうしたんですか? ルナさん!」

「……実はルナ、空腹なのに殆ど何も食べてないのよ」

「ルナさん、あなたは空腹にならないと!」

 彼女の(ほの)(つめ)たい手が、私の手を握っている。滑らかな絹のような感触……

「……心配要らない。今から一時的に、身体の機能を停止させる」

「ダメ! 『停止』の神術を自分に使うのは危険よー!」

 停止の神術は、対象の時間進行を遅らせ動きを止める。だが自分に使うと、自分では神術を解除出来ない。精神エネルギーが枯渇するまで、停止は継続する。もし、精神エネルギーが枯渇すれば、死ぬ。

「リバレス、街に着いたら……、停止を解除してくれ。全く……、不便な体だ」

 もう、二人の声は聞こえない。私は、薄れ行く意識の中で「停止」を発動した……

 私は見た。身体機能が停止する直前、ハルメス兄さんが私に向かって微笑むのを。千百年前と変わらない、力強い笑みを。




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