第一章 向日葵の墓標

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 抜けるような澄み渡った青空から、眩い光が今日も降り注ぐ。今日は七月二十五日、夏真っ盛りだ。広大な黄金色の向日葵畑の前の道路で、真っ白なカッターシャツ、黒いスラックスを着た少年が、恨めしそうに天を仰いでいる。少年の髪は僅かに栗色で短く、毛先は自然に跳ねている。まだ幼さは抜けないが精悍な顔で、目からは穏やかな印象を受ける。

 ああ、今日でようやく一学期も終わりか。明日から夏休みだな。

 少年は欠伸をしながら伸びをした。其処に、一人の少女が走り寄って来る。

「緋月(ひづき)、おはようっ! お待たせ」

 光を受けて輝く白のブラウス、紺のスカートを着た少女。背中まで伸びる、艶やかな黒髪を揺らして、彼女は嬉しそうに笑った。色白で小さな顔、其処にある双眸は大きく見開いて愛らしい。だが、目に浮かぶ光には僅かに揺らぎがある。何処か儚げで、寂しさを感じさせる、不思議な揺らぎが。

「雪那(せつな)、もうちょっと早くしろよ」

 全く、何でいつも俺が来てから一、二分後に来るんだ。

「ごめん、ごめん。行こっ」

 雪那は緋月の手を握った。二人はいつもバス停まで手を繋いで行く。バス停までなら、高校の友達に冷やかされたりしないからだ。待ち合わせ場所は二人の家の間で、二人の家の間には向日葵畑がある。この畑は、雪那の家が所有しているものだ。バス停までは歩いて十五分。二人は、並木の陰を選び歩く。視界に映るのは殆どが木々の緑だ。

「明日から夏休みだね」

「ああ、何して遊ぼうか考えてた所」

 その瞬間、雪那が緋月の右腕を抓(つね)った。緋月は小さく悲鳴を上げる。

「こらっ! 受験勉強があるでしょ。緋月は、絵の実技は大丈夫だとしても、他の教科が危ないんだから」

 ふざけてみただけなのに。雪那には相変わらず冗談は通じないな。確かに俺は余り勉強が得意じゃ無い。雪那と同じ高校に入れたのは、彼女に勉強を教えて貰ったからだ。

「はいはい。雪那先生、夏休みも勉強の指導をお願いしまーす」

「もうっ」

 膨れる彼女の頬を、緋月が突っ突く。すると雪那の顔は綻(ほころ)んだ。瞬く間に二人はバス停に着き、学校に向かうバスに乗り込んだ。余り交通の便が良くない地域なので、この時間のバスには沢山の人が乗っている。雪那を庇うように、緋月はいつもドア側に立つ。

 誰も気に留める事は無いが、バスに乗って窓の外を眺めていると、自然と家などの人工物との比率が段々逆転して来る。初めは八対二ぐらいだったのが、二十分程立てば三対七ぐらいになる。もし都会に暮らす者が乗車すれば、景色の著しい変化に心を奪われる事だろう。自然と調和した街が、如何に美しいかを思って。三十分程が経過し、比率が一対九になった頃、二人は高校に着いた。

 学校に着くと直ぐに終業式が行なわれ、緋月はクラスに戻った。担任に成績表や、一学期の成果物を受け取る。担任は、クラスの生徒に語気を強め言い放った。

「この夏休みで、君達の将来は決まる。悔いの無いよう、しっかり勉強するように!」

 どの教師も言う事は同じだ。俺達の人生が、たった一度の受験で決まるなんて、他人事のように思えてならない。でも、今年の夏休みは皆から感じる雰囲気が違う。小学校から高二までの夏休みは、皆浮き足立っていた。何をして遊ぶか? 何処へ行くか。皆それしか考えていなかった筈。なのに、高三のクラスメートは楽しそうな振りをしているだけで、殺気立っているのだ。中三の時はまだマシだった。こんな風に全員が危機感を抱いて、必死な形相を浮かべてはいなかったからだ。

「じゃあな、迎居(むかい)」

 帰り際、仲の良い男子生徒に肩を叩かれた。奴はいつものように笑っていたが、何処かぎこちない。国立の大学を受験するプレッシャーだろうか? だが、そんな事を言ってはならない。皆、平静を装うのに懸命だからだ。

「ああ、有意義な夏休みを」

 上手く笑えただろうか? きっと俺もぎこちない。早く帰ろう。帰って、雪那と共に受験対策をすれば、少なくともその時は安心出来る。

 緋月は、返却物と置きっ放しにしていた教科書を鞄に詰め込んで、教室を後にした。

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