第二十五節 心魄(しんぱく)の衝撞(しょうとつ)

 何処までも続く蒼穹(そうきゅう)。だが地面も海も存在しない。此処は、全方位が空なのだ。しかも重力が通常の世界とは異なる。空でありながら、下に落ちる事も無く歩く事が出来る。

 遥か頭上にはS.U.N。眼下には僅かな千切れ雲。温かな微風が肌を撫で、衣服が衣擦れの音を奏でる。この空間を満たしているのは、光と静寂。そして私達に背を向けた、白い十字架が嵌めこまれた黒い椅子と、其処に座る銀髪の男。

「待っていたぞ、ルナリートよ」

 椅子がゆっくりと振り返る。私は其処に座る男の顔を見て、言葉を失った。

「ルナにそっくり!」

 その通りだ。彼は、私をそのまま老化させた姿と言っても差し障りは無い。

「貴方が……、シェドロット・ジ・エファロード。神なのですか?」

 彼は椅子に座り微動だにしないが、凄まじい威圧感が私達に圧(の)し掛かる。呼吸する事さえ躊躇われる程の……。やがて神は、座ったまま空間を滑るように此方へ向かって来た。

「その通りだ。ルナリート・ジ・エファロードよ。一体お前は、何の為に此処に来たのだ?」

 私が黙っていると、シェルフィアが威圧感を跳ね除け、先に口を開いた。

「私はシェルフィアと申します。私達は貴方に申し上げたい事があり、此処に参りました」

「我は、人間の言葉に耳を傾ける気など無い。天翼獣と共に黙っておるがいい!」

 神が掌を彼女に向ける。危険を察知し、私が間に割り込もうと動き出した時には、既に彼女とリバレスに「不動」が掛けられ、遠くへ飛ばされていた。何と言う高速な神術の発動! 二人は傷を負った訳では無いが、私は有無を言わせない遣り方に憤りを覚える。

「何をするのです! 単刀直入に申し上げましょう。私達は『新生・中界計画』を中止して頂く為に来ました」

「不可能だ、計画は我の責務。獄界との和平策はこれしかない」

 感情の籠(こ)もらない低く荘厳(そうごん)な声での即答。冷たい光が宿る真紅の目が揺らぐ様子も無い。

「何故なのですか? 人間界は、天界の存続の為に生まれました。そして人間達は皆、厳しい境遇を苦にせず、私達と変わらない魂を持って懸命に生きています。天界の生命が生きる代償として生まれた人間を、また天界の都合で滅ぼすと言うのですか!」

「……お前が、其処まで人間に傾倒しているとはな。人間という生物は、かつての神が創り出した『物』であり、神を継承した我がそれをどうしようが勝手だ。我こそが、現在の歴史を紡ぐ者なのだから。お前が我に口出しする事など、赦(ゆる)されはしない」

 話し合いに意味は無いと言うのか? 否、私には考えがある。

「私は人間を贔屓(ひいき)している訳ではありません。唯……、正当な判断をしているだけです! 人間界が、獄界との和平で邪魔だというのなら、もう一つ別に『中界』を創れば良い。それを獄界に与えれば、この星は『四界』になり安定する筈です」

 現在の人間界を半分に分割し、それを獄界に渡す事も考えたが、それではやはり人間と魔の衝突が起こる。だからこそ私の案が最良だ。だが神は、眉を「ピクッ」と動かす。

「エファロードでありながら、人間に心を奪われたお前に、我の何が解るというのだ? 我の考えは絶対であり不可侵なのだ。もうこれ以上、お前の駄弁(だべん)に付き合う暇は無い! だが我の責務を阻むのならば、全力を以って相手をしよう!」

 初めて神が見せる感情的な姿。「中界」の創造が、余程気に障ったと見える。

「ルナさんっ!」

「ルナー!」

 其処に「不動」を自力で解除した二人が戻って来た。私達が進む道は一つ。戦う道!

「私は自分の信じる道を進む。後悔しない為に、そして未来の為に! 例えこの道が神、否、『父』である貴方に反するものであったとしても!」

 私は神剣を構え、切っ先を神に向ける。シェルフィアとリバレスも私に続く。

「私の道はルナさんと共に! 幸せを創り、理不尽な悲しみを無くす為に戦います!」

「わたしは、生まれた時からルナに育てられた天翼獣。凄く感謝してる。だからこの命尽きるまで戦うわー!」

 私達の声が響いた後、不気味な沈黙が空間を支配する。……風が止んだ。

 やがて神は無言で笑みを浮かべ、ゆっくりと椅子から立ち上がる。その瞬間、空間自体が激しく振動を始め、晴天は「嵐」へと変化した。篠(しの)突(つ)く雨、目を開けるのも辛い烈風、そして止め処無く響く遠雷。何よりも恐ろしいのは、立ち上がった神が纏うエネルギー。かつて戦った獄王の「影」とは比べ物にならない。これが、ロードの全力!

「我は絶対神シェドロットとして、ルナリート、お前達の道を砕かねばならない。来るが良い。怒り、悲しみ、苦しみ、喜び、憎しみ、慈しみ、愛、信念、お前達の全てを懸けて!」

 一際巨大な雷霆(らいてい)が神の右手に降り注ぎ、其処から長さ二mはある大剣が現れる。神剣! 

「シェルフィア、リバレス。行くぞ!」

「はいっ!」

「行くわよー!」

 二人に迷いは無い。この瞬間から、未来を賭けた最後の戦いが始まる!

「禁断神術、『滅』!」

 私は有りっ丈の力を込めた。直径百mにも及ぶ「滅」が神を捉える!

「なかなかの力だ」

 神は微動だにせず、滅を待ち構える。幾ら神でも無傷では済むまい。「シュゥゥ……」、滅が神を呑み込む。だが滅が通り抜けたにも関わらず、神は無表情で立っていた!

「無駄だ。我の体には、どのような神術も届かぬ」

 神の体が鎧の形をした「滅」で覆われている! これなら神術だけで無く、物理攻撃すらも掻き消すだろう。だがシェルフィアとリバレスは、それに構う事無く攻撃態勢に入る。

「禁断魔術、『闇』!」

「連続、『滅炎』!」

 二人の攻撃もやはり無効化された。神は腕を組み、シェルフィアを注視する。

「まさか人間の娘が、記憶も心も残したまま転生した上に、魔術を使いこなすとはな。愛を主題として生み出したルナリートの恋人だからか、それとも女自体の素質か」

「貴方は何故そんな事まで知っているのです?」

 私は神の前に立ち、睨み付けた。神は人間界の事象まで知っているのだ!

「我が知らぬ事は何も無い。この空間から、獄界を除くあらゆる場所を見られるからだ」

「ならば、貴方は人間達を良く知っている筈です! それでも滅ぼすのですか?」

「我は、神としての責務を遂行するのみ。其処に感情など必要ではない」

 全てを知りながら、尚も責務を遂行する。それが神の、父の生まれた意味なのか? 悲し過ぎる。否、それは私の価値観での判断であって、神の信念とは異なる。何にせよ、私は父を超えるしか無いのだ!

「星を司る力を受けるが良い」

 神が静かに口を開いた。その刹那、閃光と衝撃が私達を包む。何が起きた? 閃光が消え、周囲を確認する。……血塗れだ。私達三人共、全身に切り傷を負って!

「これが、本来の高等神術『光刃』だ」

 高等神術なのにこの威力……。それよりも、早く二人を助けなければ!

「シェルフィア、リバレス!」

 二人共何とか無事のようだ。私より僅かに神から離れていたシェルフィアが、ギリギリで「暗幕」を発動させたからだ。暗幕が無ければ、二人は致命的なダメージを受けていただろう。私は直ぐに二人の所に向かう。

「とんでもない威力ですね……。私の魔術で防ぎきれるレベルじゃない」

 苦笑を浮かべるシェルフィアと、彼女の肩に伏しているリバレス、そして自分自身に対して、私は全力で「治癒」を施し始める。

「戦いの最中に、我に背を向けるとは愚の骨頂だ」

「邪魔をするな!」

 私は振り向きざまに剣を振り抜く! 何故かそれは、途轍(とてつ)も無く重い一撃になった。神の剣と滅の守りを崩し、神自体を遠くへ弾き飛ばす程の。私の精神力を超えた一撃のような気がするが? 何はともあれ、この隙に「治癒」を終えなければ。

 数秒で治癒が完了し、私は二人に声を掛ける。

「もう大丈夫だ。だが神の力は強大で、私にしか相手は出来ないだろう。二人共少し離れていてくれないか?」

「嫌ですよ! 私はあなたと共に戦えます」

「わたしもよー! シェルフィア、『あれ』で行きましょう」

 リバレスが、シェルフィアの背中に移動し「純白の翼」に変化する。

「これで足手纏いにはなりません、行きましょう!」

「……ああ、行こう!」

 二人の力を信じ、私は戦いに専念しよう。そう思った直後、神が再び目前に迫る。

「我に手傷を負わせるとはな。『これ』を受けて見るが良い」

 背筋が凍る様な感覚、途轍も無い「力」の集約。これは……

「シェルフィア、『滅』が来る! 上空へ回避だ」

 私達は同時に舞い上がった。出来るだけ遠く、速く! 上昇しながら見下ろすと、直径数kmに渡って空間が消えていた。其処には雨も風も、空気さえも残っていない!

「ザァァ……」

 消えた空間とシェルフィアを除いて、視界には斜雨(しゃう)だけが映っている。神の姿が無い。

「此処だ」

 背後! 「ガキィン!」、鈍い音と共に、後ろに振った剣が「固いもの」に止められた。

「何だ、その剣は? 先刻の一撃は奇跡か」

 神が素手で私の剣を止めている! 掌には掠(かす)り傷すら付けられていない。

「くっ、私は貴方には負けない!」

 剣に精神力を込め、連撃を浴びせる! 攻撃力は上がったが、神の守りを破った一撃には全く及ばない。

「お前は神剣の使い方を知らぬようだな。神剣は、こうして使うのだ!」

 力の集約……、また「滅」が来る! 私は咄嗟にシェルフィアを抱えて、神から離れたが「滅」は発動しない。否、それは正確な表現では無い。「滅」のエネルギーがそのまま神剣に吸収されたのだ。神が剣を振るう。

「『滅』剣!」

 私はシェルフィアと共に、神の背後に「転送」で逃げた。私の全身を、悪寒が奔ったからだ。その直後、悪寒と自分の行動が正しかったと知る。振られた剣の延長上、数kmの範囲が「消滅」していたからだ。

 神剣は、精神エネルギーだけで無く「神術」を吸収する剣。私の一撃が神に届いた時には、「治癒」の力の一部が剣に注がれ、攻撃力の増加に繋がったのだ。

「ルナさんっ、危ない!」

 え? 「ズシャッ!」、何かが引き裂かれる音。

「キャアァ!」

 シェルフィアの叫び! 彼女は私を庇(かば)い神に斬られた。肩から腹部にかけて容赦無く!

「貴様ぁぁ!」

 私は、渾身(こんしん)の力と「滅」を込めた剣を神に突き出す! だが「転送」で避けられた。

「シェルフィアー! 傷は深い。わたしが治癒するから、ルナは神を食い止めて!」

 私は頷き、上空に居る神の元へ飛ぶ! 彼女を傷付ける者は、絶対に許さぬ! 自分の中で何かが弾けた。神の記憶、力が完全に自分と融合しているような感覚。

 雨と風が止んだ。違う、私が止めたのだ。神を倒すのに邪魔だから。

「創始の神術『光』を剣に乗せる」

 私は剣を両手で持ち、意識を集中する。この空間全てを白く染め上げる程の光が生まれ、それが剣に吸収された。剣を持つ手から汗が滲み出る。この一振りは至高の一撃となろう。

「そうだ、それでいい。我も死力を尽くして迎え撃とう」

 神の剣にも「光」が宿る。私と神の間には、最早誰も近寄る事は出来ない。如何なる生物でも瞬時に消滅する超空間。「キィィ……!」、剣が発光し高速で振動している。

「行くぞ!」

 互いの剣が振られ、光が奔る!

「ゴゴゴゴゴォォ……!」

 エネルギー同士の衝突、そして爆発! 規模は数km、否十km以上。波動があらゆるものを焦がし、溶かし、焼き尽くす!

「余程、あの娘が大事らしいな。「継承」も行われていないのに此処まで強くなれるとは」

 神は立っている! 左腕が潰れて、上半身は激しい火傷を負っているのにも関わらず。

「私は、彼女の為ならば何処までも強くなれる。父よ……、私は今こそ貴方を超える!」

 気丈にそう叫ぶが、自身の傷も深い。右腕は半分融解して剣を掴む事は出来ず、左目も焼かれて視力を失っていた。

「(ルナー、大丈夫なの? シェルフィアは回復したから安心して!)」

「(ルナさんっ、私達の力の全てを送ります!)」

 二人の声と「力」が転送で届く。有り難い、これでまだ戦える!

「(ルナリート様、これが最後の一振りとなりましょう。我が魂、貴方の為に!)」

 神剣となった「ルナ草」の声。そうだな、次で最後だ。その一撃の後は、人間界は救われる。愛するシェルフィア、大好きなリバレス、兄さん、友人達と仲良く暮らそう。

「(シェルフィア、帰ったら結婚式を挙げような。リバレス、私の世話をまた焼いてくれよ)」

「(ルナさんっ、必ず。約束ですよ!)」

「(ルナー、世話なら幾らでも焼いてあげるから頑張って!)」

 左手一本で握る剣に、「光」を込める。シェルフィア、リバレス、兄さん、そして自分の思いを込めて!

「これが時の変わり目だ、我が息子よ。全てを懸けて、行くぞ!」

「キュィィ……!」、

 光り輝く二つの神剣。雷も止み、辺りは夕紅に染まっている。紅が白光に変わり、もう直ぐ互いの剣は交差するだろう。だがその後新しい日の出を見るのは……、私だ!

「うおぉ……!」

 精神力を注ぎ込み過ぎて、頭が割れそうだ。意識を保つ事も困難。私を突き動かしているのは、未来を信じる想い!

「我は負けぬ。運命は変えられないのだ!」

 神の剣がより眩く輝く! 私は兄さんの顔を思い浮かべる。力を貸して下さい!

 私は剣を振った! その刹那、神が何故か私に微笑み掛ける。

「第二万三千二百六十四代神。その名はシェドロット・ジ・エファロード。我の力を以って、『聖(せい)命(めい)(Sacred Life)』を行う!」

 神は剣を投げ捨て、右掌を私に向けた。攻撃じゃ無い。ならば、何をしようと?

「ピカッ……!」

 私の剣の波動が神に届く! 光に包まれる神。轟音の後、訪れる静寂……

「見事だ、ルナリートよ……」

 神が、否、父が夕陽を背に受け倒れる。全身を焼かれ、両目の視力も失っているようだ。それなのに私は、全ての傷が完治している。父は、最期に私に力を託したのだ。

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第二十六節