第二十三節 孤高の双極

 ルナ達が天界に到着した数時間後、ハルメスも冥界の塔の最下層に到達した。塔を下る間、彼は魔に遭遇せず楽に下る事が出来た。だが彼はそれを「嵐の前の静けさ」と認識し、より警戒を強めている。獄界への転送装置、つまり闇を模した球体の彫像の前に座り込み、彼は胸の内ポケットを探り始める。程無くして、其処から出て来たものは、古びた、だが丁重に保管されていた紙箱だった。

「ティファニィ、お前が死んでからずっと止めていたが……」

 彼はそう呟き、紙箱を開けて一本の煙草を取り出す。ティファニィから最後に貰った煙草だ。彼女は、彼が煙草を吸う姿を特に愛していた。

「これを吸うと、あの頃を思い出すよ」

 久々の煙草にぎこちなく点火した後、ゆっくりと胸一杯に吸い込み、吸うのと同じ時間をかけて吐き出す。紫煙(しえん)は張り詰めた空気に染み渡り、彼の緊張をも和らげた。

「……よし。大事な弟の為だ、戦うぜ!」

 彼は立ち上がり、オリハルコンで作った剣を抜いた。

 俺の直感が魔の到来を告げている。計画実行までは一ヶ月と少しあるが、四月四日に塔を上り始めては遅い。獄王は計画の前に、全ての魔の人間界への配備を終えるだろう。即座に人間を殺す為に。

 臨戦態勢に入り待つ事二時間。転送装置が妖しく蠢き始めた。俺は「光膜」で体を覆う。

「グワァァ……!」

 次の瞬間数百体、否、最下層を埋め尽くす程の魔が眼前に現れた!

「なかなかの団体様だな……。行くぜ!」

「エファロードハ死ネェェ!」

 剣や槍、斧や弓を持った大軍が一斉に俺に襲い掛かる!

「お前達には悪いが、此処は一歩も通さんぞ!」

 俺はそう叫びながら、究極神術「神光」を発動させる。魔は断末魔と共に消え去った。しかし……

「エファロードォォ!」

 次の一群が間髪置かずに現れた。根競べと言う訳か。俺は、魔が現れる毎に「神光」で撃退し続けた。

「はぁはぁ……。一体どれだけ来るんだ? これで五十六回目だぞ!」

 一万体以上は倒しただろう。幾ら俺がエファロードでも、これだけの魔を「第二段階」で相手するのは辛い。消耗は激しいが、「第三段階」にすべきかもな。しかし、予想に反して五十七回目に現れたのはたった一人だった。漆黒の体毛を持った、巨大な狼の魔。

「ハッハッハ……。貴様が、あのルナリートの兄か!」

 こいつ……、第二段階の俺より強いな。今まで倒した魔とは桁違いだ。司令官クラスか?

「何故ルナの事を知っている?」

「奴には世話になったからのう。此処に奴が居ないのは残念じゃが、まずは貴様から死ぬが良い!」

 フロアが闇の螺旋へと姿を変える。そうか、こいつが「側近ファング」。ならば……

「禁断魔術『死闇』如きで俺を殺すだと? 舐められたものだ」

 俺は一瞬で「第三段階」の力を解放し、俺の身長の数倍はある巨大な「滅」を発動させる。滅は死闇を呑み込み消えた。ルナにこいつの話を聞いておいて助かったぜ。

「待て! ワシを殺してはならない」

 剣の切っ先をファングに向けると、奴は前足を上げて首を振る。もう降参か?

「ファング、お前は役に立たないね」

 奴の背後から聞こえる少年のような声。誰が、いつの間に!

「フィアレス様、どうかお許しを! ……ギヤァァ!」

 ファングの胸から、漆黒の剣が突き出て来たので俺は咄嗟に後ろへ飛ぶ。飛びながら声の主を確認した。間違い無い……、王子フィアレス!

「エファサタンが、わざわざこんな所に何の用だ?」

 俺は王子を睨み付けながら「第四段階」、つまり俺の全力を解放する。そうで無ければ瞬殺されるからだ。王子はファングから剣を引き抜き、俺に向かって歩み寄る。

「無能な部下が失礼したね、ハルメス・ジ・エファロード。僕の事を知っているようで光栄だよ。僕はルナリートを殺しに来たんだけど、もう一人のエファロードが此処に居るなんてね。好都合だよ」

「まさか、サタンが直接人間界に向かうとは思わなかったぜ……」

「そう? 僕が行く方が計画はスムーズに進むでしょ。それより、僕は早くルナリートに会いたいんだ。けど君も邪魔だから、弟より先に殺してあげるよ!」

 その言葉の直後、奴の姿が消えた! 「パァァン」という音と共に、俺の光膜が破壊される。俺は何とか奴の剣を受け止めたが、重い一撃に腕が痺れる!

「容赦の無い剣だな。だが、俺がお前に負ければ人間界は滅びるだろう。だから俺は命を懸けてお前を倒す!」

「そう来なくちゃね! それでこそ殺し甲斐(がい)があるよ」

 俺達は互いに、瞬きより早く離れた。次の一手を思考する。殺す気で行かねば。

「禁断神術『滅』!」

「ふーん……。『滅』なら僕も使えるもんね」

 俺の放った滅が、フィアレスの滅に衝突し呑み込まれる。眼前に奴の滅! 俺は辛うじて「転送」で逃げた。奴はルナの指輪から神術の情報を引き出したのだろう。厄介だな。

「逃げちゃダメだよ」

 突如左から奴の声が響く。不味い! 俺は咄嗟に、右に飛んだ。だが、その時には既に奴の剣が俺の胴に届いていた。「ブシュッ」と言う、肉を裂く嫌な音が響く……

「其処まで転送を使いこなすとは。ぐっ……」

 俺は脇腹を押さえる。骨には到達していないが、傷はかなり深く出血が止まらない。オリハルコンの帷子(かたびら)を着ていなければ、俺は両断されていただろう。

 奴の放った滅が、壁を二十m程抉り取って消える。凄まじい威力だ……

「よく避けたね。真っ二つだと思ったんだけど」

 王子の表情は若さ故か、解り易い。悔しさと嬉しさが滲んだ双眸が俺を見据えている。

「今まで生きて来て、お前のような強敵に会ったのは初めてだ。俺は、獄界から無事に帰って来たルナを誇りに思うぜ」

 此処で死ぬつもりは無かった。俺にはもう一つの役目があるから。だがそんな悠長な事も言っていられない。刺し違えてもサタンを倒す! 大切な弟達、そして人間を守る為に。

 ティファニィ、これが「俺達」の最後の戦いだ。力を貸してくれ! 俺は目を閉じ、彼女の魂に語り掛ける。彼女は、俺の願いを聞き入れてくれた。オリハルコンの剣が輝き出し、彼女の魂が宿る!

「へぇ……、何? その剣は」

「『神剣ハルメス』。俺の最愛の女性が変化した姿だ」

「そんな剣で僕を倒せると思ってるの? もう茶番は終わりだ。死んでしまえ!」

 奴が消えた。また死角から俺を攻撃するつもりだろう。

「ザシュッ!」

 剣が胸を縦に裂く! フィアレスの胸を。ティファニィが反射的に攻撃してくれたのだ。

「ぐっ、そんな馬鹿な! 剣が勝手に動くなんて」

「この剣は、俺とティファニィの意思で自由に動かせる。直接腕を振る必要も無くな。此処からが本当の戦いだぜ!」

 俺達は睨み合いながら、不敵に笑った。刹那の後、俺達は宙を舞い全力でぶつかる!

 炎、氷、光、闇、あらゆる神術と魔術がフロアを飛び交い、剣戟の火花が散った。俺も奴も、生傷が無数に増えて行く。ロードやサタンの回復力でも間に合わない!

「はぁはぁ……、そろそろ人間界を諦めてくれないか?」

 俺は左脇腹を抉られ、右肩を斬られ、右大腿を刺された。出血で眩暈がする。

「ハァ、ハァ……、君こそ早く死んで僕を通してくれよ!」

 奴は左頬と左目を炎によって焼かれ、右腕が折れている。次が互いの最後の攻撃……

「もう終わりにしようぜ! 創始の神術『光(sunlight)』!」

「……そうだね。これで終わりだ、終焉の魔術『闇海(darksea)』!」

 フロアの半分が光に、もう半分が闇の波動で埋め尽くされる! この空間では最早、ロードとサタン以外の生物は生存不可だ。

「決着を付けようではないか、サタンよ!」

「消えるのはロードである!」

 俺達の過去の記憶が、反射的に言葉を紡ぎ出す。奴もまた、記憶の継承が済んでいるのだろう。増幅する力で塔は激しく振動を始めた。転送装置を残して塔が融解していく。下層百階程は既に消滅した。俺達の周囲には空洞が出来、眼下には溶岩が流れる!

「ティファニィ、俺に力をぉ……!」

「僕はサタンの末裔(まつえい)、負ける筈が無いぃ……!」

 俺達は既に限界を超えていた。傷口からは血が噴き出し、翼も皮膚も消失しようとしている。だが、俺は絶対に負けない!

「ザクッ!」

 俺は「転送」を使い、剣でフィアレスの胸を貫いた! だがそれを読んでいた奴も、剣を突き出し俺の胸を貫く。相討ちか……?

 迸(ほとばし)る二人の血液が溶岩に吸い取られていく。光と闇は消え去った。二人は同時に、僅かに残る地面へと落ちる。

「ぐあぁ……! 俺の、勝ちだな。これで魔は人間界に来れまい」

「ウグゥゥ……! 無駄さ。転送装置さえあれば、僕が戦えなくとも計画は中断されない。だから……、僕の勝ちだ」

 俺達は地面を這(は)いながらも、相手を睨み付ける。俺は心臓と肺を損傷した。長くは生きられないだろう。フィアレスも同様のダメージを負った筈……

「転送装置も含め……、この塔を丸ごと消してやるぜ」

「ふん、戯(ざれ)言(ごと)を……。君の人生はもう直ぐ終わりだ。未来の心配など要らないだろ。今度は、必ず、ルナリートを、殺してやる」

 強がりを……。お前も死に掛けの癖に。フィアレスは姿を消した。傷を癒す為、獄界に帰還したのだろう。帰還したとて、奴が生き永らえるとは限らないが。

「ルナ……、何とか追い払う事が出来たぜ。後は……」

 俺は剣を支えに立ち上がり、自分自身を「転送」させた。ある遺跡へと。

 血を吐き、足を引き摺(ず)り、歯を食い縛りながら、俺は「階段」を下る。出血量は既に致死量を超え、意識を保つ事も危ういが、それでも俺は歩を進める。一歩ずつ、ゆっくり。

 自分が生まれた意味を完遂させる為に。

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第二十四節