第四節 邂逅(かいこう)

 意識が揺れている。現実と夢の狭間、しかしゆっくりと現実が私を支配した。

「う……、うぅん」

「良かった、意識が戻って!」

 瞼(まぶた)を開くと、一人の少女の顔があった! 何者だ、リバレスは?

「お怪我は大丈夫ですか? あんな所に一人で倒れていて、驚きましたよ!」

 栗色の長い髪を揺らして、私を見詰める。その目に悪意は無い。悪意どころか、私はこんなにも、穏やかで、何もかも包み込むような目を見た事が無い。

 私は無言で状況把握に努めた。此処は煉瓦造りの簡素な家。天界の図鑑で見た通りの、人間の住宅だ。当然だが彼女は人間で、この家は彼女の家。私は彼女に助けられたのか?  硬いベッド。シーツの目も粗く、寝心地が悪い。それより……

「(リバレス、何処だ!)」

「(わたしは此処よー!)」

 右手の薬指が微かに動いた。リバレスは指輪に変化しているようだ。

「(何故、こんな事になってる?)」

「(わたしが救難信号を出したら、この女が助けにきたのよー)」

 やはりそうか。動けない私を、リバレスが運ぶ事は出来ない。私が黙り込んで考えていると、少女は目に涙を浮かべて話し掛けて来る。

「傷が痛むんですか……? しっかりして下さい!」

 必死な顔。例え人間でも、無視する訳にはいかないな。

「ああ、傷は大丈夫だ。しかし全身に力が入らない。特に、腹部辺りに違和感を覚える。痛みでは無いが」

「思ったより元気そうで何よりです! きっと、お腹が空いてるんですよ。今日の夕飯、沢山作ったので、食べて下さい! 温めて来ますね」

 私は首を傾げた。一体、この少女に私の何が解る? だが私は、笑顔で駆けて行く彼女に、何も言えなかった。

「(リバレス、私はどうすればいいんだ?)」

「(お好きなようにー。でも、これから人間界で暮らすんだから、利用しやすい人間を作るのはいい事じゃないのー?)」

 他人事だと思って……。「夕飯」、確か人間が夜に食べる食事の事だった気がするが。まさか、今から私は人間の食事を食べさせられるのか! 下等な人間の食事を……

 数分後、少女が恐るべきものをトレイに乗せて持って来た。図鑑で得た知識を元に分析して見る。黄色のスープ、パン、肉と植物が炒められたもの……。初日から人間の食物が出て来るとはな……。ESGが恋しい。

「料理には余り自信が無いんですが、遠慮せずにどうぞ!」

「あ……、あぁ」

 満面の笑みで私を眺める少女。指輪のリバレスが震える。笑うなよ! だが人の好意を踏み躙(にじ)ってはならない。私は意を決して、スープを飲む。

「何だ、これは!」

 驚きの余り、大声を出してしまった。

「美味しく無いですか?」

 少女は悲しそうに俯く。私は思いっ切り首を振った。

「逆だ。私はこんなに『美味しい』ものを食べた事は無い」

 こんな感覚は初めてだ。大袈裟だが、口の中が幸せなのだ。ESGのような瞬時の充足感は無いが、「美味い」というのが、こんなにも幸福だとは。

「ほんとですか! 良かったぁ。ちょっと塩を入れ過ぎたので、心配だったんです」

 私が食べる様子を嬉しそうに眺める少女。私は、運ばれた料理を次々と平らげる。

「(いいなー、ルナ。わたしも食べてみたい)」

「(お前にはESGがあるだろ)」

 料理は全て、私の胃に収まった。こんな時に言う台詞は……

「ご馳走様」

「お粗末様でした。よっぽど、お腹空いてたんですね。喜んで貰えて、私も嬉しいです」

 少女は、食器を下げる。例え相手が人間であろうと、私はこの少女に素直な感謝を覚えていた。見ず知らずの私を助け、料理まで振舞ってくれた少女に。

「ああ、お陰様で力が戻って来た気がするよ。ありがとう。ところで君の名は?」

 私は立ち上がりながら、そう言った。

「私は『フィーネ』です。あなたは?」

 フィーネか。顔には幼さが残っているが、澄んだ茶色の瞳の奥には、揺るぎ無い心が宿っている。純粋さと共存する、力強い心。髪は背中まで真っ直ぐ伸びており、背は私よりも二十cmばかり低いだろうか?

「私は、ルナリート。ルナと呼んでくれ。私は、『ある辺境の地』から旅を始め、さっきこの村に流れ着いた。この村は?」

 咄嗟に考えた嘘だ。自分が天界から堕ちた天使だという事は隠さなければならない。

「ルナ、さん。良い名前ですね。旅人だと思っていましたよ。赤い髪で蒼い瞳を持つ人はこの辺りに居ませんから。此処は、アトン地区の北西端に位置する、ミルドの村です。良質な鉱石が採れる鉱山で有名ですよ」

 人間界は複数の地区から成り立ち、各地区には数万から数十万の人間が居ると、天界の図書には書かれていた。各地区の詳細までは解らないので、地図を入手しよう。

「あっ!」

 目を見開いて声を上げたフィーネ。只ならぬ雰囲気が漂う。

「どうしたんだ?」

「お父さんが、鉱山から帰って来ないんです! 私、様子を見に行かないと。最近、魔物が多いから心配で心配で!」

 フィーネは、濡れたコートを羽織る。震える彼女を見て、私はリバレスに目を遣った。

「(村を襲うような魔は、恐らく低級魔だろう。リバレス、私はこの少女に助けられた。受けた恩は、私は返さねばならない。彼女の父親を無事に連れ帰ろうと思うが、どうだ?)」

 低級魔相手なら、万が一戦闘になっても私は負けない。オリハルコンの剣もある。

「(ルナがそうしたいなら止めないわ。相変わらず甘いわねー、ルナは)」

 リバレスの苦笑が目に浮かぶ。まあ、人間を助けるのは今回限りだ。

「フィーネ、私が代わりに鉱山に行く。君は此処に居るんだ」

「え、駄目です! あなたは病み上がりなんですよ」

 彼女は真剣な表情で、私の前に立ち塞がる。何処まで人の心配をするんだ。

「怪我は完治した。それに、剣の腕には自信がある。鉱山は何処だ?」

 堕天しても私は天使だ。怪我の治りは早い。私は荷物から剣を出して、軽く振って見せた。本当は少し重かったが。

「家を出て、南です。本当に……、大丈夫なんですか?」

 私は返事をする代わりに微笑み、頷いた。そして、外への扉を開く。

「ルナさん、お気を付けて! 済みませんが、お願いします」

 フィーネの言葉を背に、私は雨の中を駆け出した。

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