第三十六節 The last smile

「……ルナ、さん」

 私の呼び掛けに、フィーネは弱々しい声を返した。良かった、まだ生きてる!

「フィーネ、直ぐ治してやるからな!」

 私は精神を集中し、「蘇生」と「治癒」の神術を同時に発動させた。だが……

「ルナさん……、ダメですよ」

 今の私の力を以ってしても、「堕獄」を消す事は出来ない……! 彼女の体が冷たい。まるで、氷で出来た人形のように。

「フィーネ、フィーネ! お願いだ、戻って来てくれ!」

「もう……、今の私には、多分、何も効果が無いです。……目の前が真っ暗で、触覚も消えました。唯……、ルナさん、あなたの声だけが聞こえます」

 彼女の目は中空を眺め、焦点が合っていない。フィーネは本当に私の姿すら見えていないのだ。自分の目から、熱いものが際限無く溢れる。

「嘘だ、嘘だぁ……! 私にはフィーネさえ居ればいい! 私は解ったんだ。天界も、人間界も、天使も何も必要無い。唯、君だけが私には必要なんだよ! ずっと……、一緒に生きて行こうって約束したじゃないか。お願いだ、いつものように微笑んでくれよ!」

 私は彼女の体を抱き起こし、強く抱き締める。しかし彼女の体は反応を示さない。

「ふふ……、ルナさん、笑って下さいよ。私は……、あなたが笑ってくれる時の、優しい目が大好きなんです。あの日……、初めてルナさんと出会った時から、私は助けられっぱなしでしたね。ルナさんは、とても……、とても優しかった」

 彼女の表情がゆっくりと微笑みに変わる。目を閉じ、口元を綻ばせて。こんな時にまで、君は私に微笑むと言うのか?

「私は、ルナさんから沢山の事を貰いました。あなたと居た時間……、幸せだった。だから、私の人生は決して不幸じゃ無い。短くても……、大好きなルナさんと愛し合えたから」

 今にも消えそうな声、彼女の体温は更に下がり、呼吸までもが止まりそうだ……

「救われたのも、沢山の事を貰ったのも私の方だ! フィーネが、私の心を温めてくれたんだよ。一生懸命生きる事も、人を愛する喜びも、全部君が教えてくれた。君が居たから、私の人生は光に溢れたんだ! なのに、なのに……」

「ルナさん……、あなたは優しいから、私の為に涙を流してくれてるんですね。私も……、あなたと過ごした事、思い出すと、涙が溢れます。もっと、一緒に生きられたら……、今まで以上の幸せがあったんじゃないかって。戦いが終わり、一緒に暮らして、ルナさんの子供を生んで……。でも……、それは叶わない、贅沢過ぎる夢」

 彼女の手が、私の顔を探して宙を彷徨(さまよ)う。私は彼女の手を握って自分の頬に導いた。

「私はもう……、死にます。それが解るから……」

「フィーネ、嫌だ! フィーネー!」

 目の前が滲んで、彼女の顔を直視出来ない。彼女の涙が私の手の甲に落ちる……

「私が悲しんだら……、いつもルナさんが、慰めてくれましたね。今度は、私の番ですよ。雪の降る昨日の夜、私達の最初の夜、約束したじゃないですか。『永遠』を。例え、何があっても、『死』が訪れても、私とルナさんは離れないって。私が死んでも……、あなたは悲しまなくていいんです。あなたは、私の『魂』を見付けられます。どれだけ、遠く離れたとしても……、絶対に」

 そうだ……、その通りだ。死の間際に居る彼女の前で、私がこんなに気弱でどうする?

「フィーネ……、君の言う通りだ。例え君の体が消えても、私は百年でも千年でも君の魂を捜し続けて、再び君を抱き締める。だから……、安心してくれ」

「やっぱり私は……、ルナさんが大好きです。でも……、暫くのお別れですね。あなたが迎えに来てくれる日まで、私は……、あなたを愛し続けて待ってます。私の、ルナさんへの想いは永遠に。あなたに出会えて、本当に良かった……」

 フィーネは死ぬ。今の彼女の温もりを感じる事も、声を聞く事も、もう出来ない!

 彼女の魂を見付け出しても、二人で過ごした記憶は消えるだろう。楽しかった事も、悲しかった事も、愛し合った日々も。それでも私は彼女を捜し出す。私達の心は永遠だから。

「フィーネ、君は私に本当の『心』をくれたんだ。『心』は温かくて、どんな苦しみや悲しみも包み込んでくれる。『心』は溢れ出して、優しさや強さ、愛に変わるんだ。私も君を誰より愛してる。私達は『永遠の心』を信じているから、何度生まれ変わっても心を失いはしない。私は『永遠の心』を持って、何処に居ても必ず君を迎えに行く。だから……」

「何も心配せず、いつも眠るように……、おやすみ」

 私は、目を閉じ彼女の唇にキスをした。その冷たさを感じ、涙が止まらない。苦しくて、不安で堪らないが、私はフィーネを笑って送りたい。胸が張り裂けそうで、体が震える。だが、私はそれを抑えて彼女に微笑む。

「ルナさん……、ありがとうございます。私も『永遠の心』を持って、あなたを待っています。あなたと過ごした日々、愛する心も全部永遠に……、忘れない。でも……、寂しいから、早く迎えに来て下さいね。もし……、私が『心』を失いそうになっていたら、『約束の場所』へ連れて行って……、下さい。行きたかった、あの場所へ。そろそろ……、時間、みたい、ですね。音も消え……、て……」

 フィーネを流れる時が、止まろうとしている。何か言わなければいけないのに、言葉にならない!

 失われる。彼女の靭(つよ)さを秘めた純粋な目も、可愛い顔も、そして最後の微笑みも。

「おやすみなさい……。ルナさん、大好き……」

 それが、最愛の人から零れた、最後の言葉だった。

「フィーネー……!」

 私は声が枯れても叫び続ける。もう、動かない彼女の体を抱き締めながら……

 フィーネは命を失って尚、微笑みを浮かべていた。

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