第十節 花葩(かは)

「ルナさん、朝食の準備が出来ましたよっ!」

 朝から元気に溢れたフィーネの声が響く。食卓には、スクランブルエッグとベーコンの炒め物、パン、コーヒーが並んでいる。ルナは料理を食べた後、コーヒーを飲んだ。

「うっ……、この飲み物は、苦くて飲めたものじゃないな」

 食べ物は美味だが、こんな苦いものを飲む人間の気が知れない。

「コーヒー駄目なんですね。それじゃあ、紅茶にします」

 新しく出された「紅茶」という飲み物は、香りがきつく不味そうだったが、飲んでみると甘くて美味だった。何でも、挑戦してみるものだな。

 食事を済ませた三人は、旅立ちの準備を始めた。魔の脅威に晒(さら)される他の街へ赴く為に。

 元々、必要な荷物は纏(まと)めているルナとリバレスは直ぐに準備を終え、フィーネを待っている。ルナは、ハルメスに貰った「自由と存在」を開いた。リバレスは、ルナの肩の上で眠り始める。

 ハルメス兄さん、「自由」と「生きる事」の大切さをこの本に記した貴方が、今の天界を見れば、さぞ喜ぶ事でしょうね。貴方が、生きていてくれれば……

 ルナは、ハルメスに貰った白銀の懐中時計を開く。午前十一時十八分。

「ルナさん……、お待たせしました」

 何だ、その格好は? 古ぼけた鋼の鎧(よろい)に剣が二本。とても、歩けそうに見えない。

「フィーネ、それで動けるのか?」

「……勿論ですよ」

 フィーネが一歩踏み出す。「ガシャン!」という音と共に、彼女は倒れた。

「意気込みは解った。だがそのままじゃ、家を出る事すら出来ないだろ。置いて来るんだ」

「はい……。そうします」

 真っ赤な顔をして鎧を脱ぐフィーネ。数分後、身軽になった彼女と共に家を出た。

「次の街に向かう為に、船着場に行くんだな?」

「はい。……でも、その前にどうしても立ち寄りたい所があるんです」

 彼女はそう言って、胸に抱えた花束に目を落とした。何処か儚(はかな)げな微笑を浮かべながら。一片の、皎白(こうはく)な花弁が散る。

 村を見下ろすように、丘の中腹に設けられた「特別な場所」。死しても、村人と共に在るように。そして、残された者がいつでも死者に会えるように。そんな願いが込められた場所。共同墓地である。其処には、花束や食物などが供えられている。

「短期間に、沢山死んだのねー」

 周りに誰も居ない為、通常の姿に戻ったリバレスが声を漏らした。

「はい……。今年だけで百人以上が殺されました」

 俯くフィーネ。その口調は重々しい。

「この墓は、父親の墓か……」

「いいえ、お父さんとお母さんのお墓ですよ」

「済まない……」

「いいんです。少し話を聞いて貰えますか?」

「ああ」

「手短にねー」

 余計な事を言うな。私はリバレスの頭を軽く小突く。ムッとした表情。リバレスは、私が不要な情を抱かないようにしたいのだろう。だが、私はフィーネの話を聞いて見たい。

「フィーネ、気にせず話を続けてくれ」

 フィーネは、私達二人を交互に見た後、ゆっくりと頷いた。

「お母さん……、私の母が三年前に殺されたのは話しましたね。母はとても優しい人で、自分よりも家族や親しい人を第一に考える人でした。魔物が村に撒(ま)いた毒に侵され、徐々に痩せ細り……、苦しみ抜いて最期を迎えた時も、私と父の心配ばかりしていたんです」

 君は母親に似たんだな……。私は黙って彼女の言葉に耳を傾ける。

「父は、靭い人でした。仕事をしながらも、母と私をいつも気遣い、決して弱音を吐きませんでした。私は父が泣く姿を見た事がありません。『悲しみは伝染するから、家族には笑顔で接するんだ』って言うのが父の口癖だったんです」

 彼女の目から零れ落ちる一滴(ひとしずく)の涙。キラキラと光り、地面に吸い込まれる。

「人間は脆い。なのに何故、自分の無力さに涙してまで生きようとする? それ程の悲しみがあるなら、死を受け入れる方が容易だろう?」

 訊いてみたかったのだ。死という逃避を選ばず、敢(あ)えて茨(いばら)の道を歩もうとする彼女に。

「例え脆くても……、この世界に生を受けるのは素晴らしい事なんです。人は愛し合い、新たな生命を育みます。その生命もまた、注がれた愛情を誰かに注ぐでしょう。私は父と母から沢山の愛情を貰いました。私は幸せです。今までに貰った愛情を膨らませて、皆に返す事が出来るから」

 彼女は胸のネックレスをギュッと握る。形見の品だろうか? 私は続きを促した。

「でも、この世界にはそんな幸せを奪われる人が沢山います。魔物によって殺される人。最愛の人を魔物に奪われ、憎しみに狂わされて幸せを見失う人。魔物が絶対悪だとは言いません。魔物にも私達を襲う理由があるのでしょう。けれど、人間の私から見るとやっぱり許せない。人間も魔物も争う事無く共存出来れば最高だと思います。だけど、魔物の脅威は増すばかり。魔物は私達を皆殺しにしようとしています。私は生きたい! 皆に注がれた愛情を、皆に返さないといけないから。そして、皆に生きて居て欲しい! 理不尽に命を奪われる事無く。大好きなお父さんとお母さんから貰ったこの命。一人一人に宿る大切な命。脆くても一生懸命生きて、幸せでありたいんです!」

 彼女は涙を拭う。私は思わず彼女から目を逸らしてしまった。

 眩しい、その底知れぬ愛情が。生への直向(ひたむ)きさが。

 自分や大切な人が、いつ殺されるかも解らないこの世界を、どうして素晴らしいと思える? 何故、憎悪や悲哀に打ち負かされない? 私は、神官や不自由な天界を憎んでいた!

 リバレスも俯き、黙っている。彼女もまた、私と同じ気持ちだろう。

「お待たせしました。さぁ、行きましょう!」

 花束を置かれた墓石が、日の光を浴びて眩(まばゆ)く輝いている。

 フィーネは、船着場に着いても、船に乗っても村と丘を見詰めていた。「今のミルドを、しっかり憶えておきたいんです」、彼女は微笑みながらそう言った。

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