第八節 狂騒

「ふぅ……。此処まで来れば大丈夫だろ」

 セルファスが溜息を吐いた。神殿までもう、歩いて数分の距離だ。

「ああ、心臓に悪かったな。下りよう」

 三人は翼を畳もうとする。だが、思うように体が動かない。

「あれ、何だか体が重くない?」

「俺の気の所為って訳じゃないみたいだな」

 彼等は今、通常の十倍の重力を受けている。究極神術「重圧環(じゅうあつかん)」によって。彼等は地面に落ち、リバレスは変化を解除された。彼女は空を見上げ、叫ぶ。

「う、上!」

 彼等は重い首を上げた。そして、最も望まない光景を目の当たりにする。

「さて、餌にかかった愚者は誰でしょうねぇ……」

 歪んだ笑み、突き刺さるような冷徹な声。「神官ハーツ」! 

 全てが終わった……。私は、自分の心が絶望に満たされるのを感じた。

「この凶日に出かけるばかりでは飽き足らず、まさか『封印の間』に近付くとは。ねぇ、ルナリート君、ジュディア君、セルファス君、そして天翼獣リバレス」

 皆、俯(うつむ)き沈黙。それを破ったのはリバレスだった。少しでも罪を軽減する為に。

「……わたし達が、規定時間外に出歩いている罪は認めます。でも、『封印の間』に行ったとは断言出来ないんじゃないでしょうか?」

 しかし、ハーツは不敵な笑いを浮かべて、セルファスの手元を指差す。

「セルファス君、君の持つコップの水は普通の水だと思いますか?」

 コップの中で蠢(うごめ)く水……。それには、ハーツの神術が宿っているのだ。セルファスは蒼白な顔で、コップを落とした。……どれだけ良いように考えても、死刑は免れないな。

「神官ハーツ様、どうかお許し下さい! 私達は唯、神に祈りを捧げたかっただけです。『封印の間』に近付いたのも、神のお近くに寄りたいが為です! 全ての行動は私達の信仰心の顕(あらわ)れなのです!」

 上手い事を言うものだ。それでも、ハーツの心が動くとは思えない。こうなったら仕方無い。私は……、もう、自分の大切な者を喪うのは……、嫌だ!

「神官ハーツ様、全てはこの天使ルナリートの責任です。皆を誘ったのは私です。どうか、私だけを処罰して下さい!」

「えっ?」

 三人が一斉に、私の顔を見る。

 長い沈黙……。考え込むハーツ。そして無限に思える時間の後、ハーツが口を開いた。

「……成る程、事情は解りました。全ての天使の中で、最高に優秀なルナリート君の誘いで出歩いたのなら、規則違反はあっても、天界の秩序を乱す事は無いでしょう。だから、今回は特別に見逃してあげましょう。しかし、次は無いと思いなさい!」

 重圧環を解かれ、意外な言葉に顔を見合わせながらも、私達は歓喜の声を上げた。

「はい、ありがとうございます!」

 ハーツは呆気(あっけ)ない程早々に立ち去ったが、死ぬ思いをした私達は無言で帰路に就く。まだ皆は恐怖に震えているようだ。私は……、安堵と共に、無念を感じていた。あのまま、私だけが捕まっていれば……。暫く歩いていると、前を歩くセルファスが振り向く。

「おい、ルナ! あんな事を言って、どうするつもりだったんだ?」

 彼は、顔に怒りを滲ませ、私の肩を揺すった。

 神官になって、世界を変える。それは、皆にも言ってきた事だが、その根底にある私の思いの全ては、話した事が無い。今が……、話す時だろう。

「私はお前達を信頼している。だから、全てを話そう。何も言わず、聞いてくれ」

 皆、ゆっくりと慎重に頷く。私も頷き返し、全員と目を合わせてから口を開いた。

「私はこの天界に疑問を持っている。『神』という見えない観念に縛られ、全ての天使が自由を奪われているからだ。神官や学校の教師達は、『神官の造った規則』で私達を縛り付け、それを一つでも遵守出来ない者は容赦なく処刑される。それが果たして幸せだろうか? 私は決して、そうは思わない。『全ては神の教え、全ては私達の幸せの為』、それは偽りだ。『全ては神官の教え、全ては神官の幸せの為』なんだ」

今まで押し殺してきた感情が激化する。私は全身が怒りに震えた。

「私と同様な思想を持った者は全て殺された。だが私は、自由な一生が欲しい! 自由に考え、発言し、何者にも脅える事無き日常が! その世界が実現しないのならば、私にとってこの世界は、生きながら死んでいるようなものだ!」

 私を見詰める瞳が、驚きに染まって行く。

「さっき私が皆の為に犠牲になるような発言をしたのは、裁判の場で全ての天使に『自由の幸せ』を理解させたかったからだ。其処でもし、私が殺されても、必ず私の考えを継ぐ者が現れる。そして、いずれは天界に生きる者全てが、真の幸せを享受出来る時代が来るだろう! それが叶うならば、私一人の犠牲など軽いものだ。そもそも、私は『神』の存在を認めていない。本当に存在するならば、こんな世界にはしない筈だ!」

 私は、興奮を抑える為に深呼吸を繰り返す。苦しい程の沈黙が皆を包んでいる。

 最初に反応したのは、ジュディア。紅潮した顔が震えている。

「ルナ! 何を言ってるの? 貴方はどんな天使よりも優秀で、容姿も頭脳も完璧なのに。唯一、私が認めた存在なのに。それをあなたは裏切るの?」

 彼女は首を振りながら、自分の髪を掻(か)き乱す。

「私はジュディアが思っている程、素晴らしい天使じゃないさ。解って貰えないなら……、それでいい」

 突き放すような言い方だったが、仕方無い。私は、人の期待に応える為に生きているのでは無い。しかし、セルファスまで私の胸倉を掴む。

「俺もジュディアと同じ考えだ。お前は俺の友達だ。友達が、一生を無駄に散らせるなんて許せねぇよ。お前は俺の目標だし、皆にも必要なんだ! お前が死のうとするなら、俺は力づくで止めてやる!」

 激しい口調。彼は本気だ。だが……、私も本気なんだ。

「セルファス、気持ちは嬉しい。でも、私は自分の考えを曲げるつもりは無い」

 私は、セルファスから視線を逸らさない。譲るつもりは無いからだ。

「リバレス! お前も何とか言ってやれよ!」

「……わたしには、ルナが大事な親だし、ルナの考えは尊重する。でも、死なせたくないのは一緒よ! 今日はもう遅いし、わたしが部屋で説得するから、皆はもう帰って」

「でも!」

 セルファスとジュディアは同時に叫んだ。しかし、リバレスは態度を変えない。

「お願い! わたしは、生まれた時からルナと一緒だった。だから、ルナの事はわたしが一番よく解ってる! 絶対、ルナは死なせないから! 今日は……、ね?」

 リバレスの言葉で、二人は渋々自分の部屋へ帰って行った。ジュディアは部屋へ入るまで、物言いたげに、何度も、何度も振り返っていたが。

「リバレス、ありがとう。お前だけだ。私を解ってくれるのは」

 私は彼女の頭を撫でた。いつもは喜ぶ筈の彼女だが、しかめっ面のままだ。

「もー……、普段は滅多に褒めない癖に。ルナの考えはよーく解ったけど、それが神官に知れたら死刑じゃ済まされないのよ! 危険な行動は、ルナが神官になるまで我慢して」

 まるで、リバレスが私の親みたいだな。

「解ったよ、もう無茶はしない。ゆっくりと天界を変えていくさ……」

 一朝一夕では変えられない現実。だから、生涯をかけるのだ。

 そう、この時は本気でそう思っていた。

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第九節