第六節 紅月(こうげつ)

 午後十一時。神殿の北にある噴水広場から、封印の間の方向に走る三人の天使。一人は痩身(そうしん)の男、一人は体格の良い男、そしてもう一人は華奢(きゃしゃ)な女だ。彼等は、天使服の上に黒い外套を着ている。夜道で、遠くから発見されないようにする為だろう。天使服は目立つ。男用の天使服は、白いカッターシャツにグレーのズボン。女用の天使服は、白いブラウスにグレーのスカートだからだ。更に女用の天使服には、胸元に大きな白いリボンが付く。

 外套の所為(せい)で解りにくいが、良く見ると痩身の男の髪は赤色。女の胸元のリボンも特待生の証である「赤色」なので、この二人はルナリートとジュディアだという事が解る。また、彼等と共に行動する体格の良い者はセルファスしかいない。

「付いて来る必要は無いのに」

 ルナが、ジュディアと、彼女の「右手薬指の指輪」に話しかけた。

「私は、ルナが心配だから……。あと一応セルファスもね」

「(わたしもー! 保護者のルナがいないとわたしは生きていけないわよー!)」

 リバレスは、天翼獣のみが使える神術「変化」で指輪の形状に変化し、ジュディアの右手薬指に嵌(は)められている。この状態の時は、言葉を喋れない為、「転送」の神術で言葉を直接相手に転送しなければならない。

「ルナ、間を取り囲む『森』から二人で競争して、先に水を汲んできた方が勝ちだ」

「了解。スタート地点は、今走っている石畳が、森に入る地点だな」

 空には真紅の月。私の髪と同じ色だな。辺りは、不気味な赤色に染まり、他の天使は一人もいない。当然だ、皆命が惜しい。

 百年に一度、十二月四日にレッドムーンは空に上る。この日は古来より、外に出れば災いが降りかかると言われている。しかし、私達は子供の頃、レッドムーンの日に遊んだ事があるが、「私達には」何も起こらなかった。寧(むし)ろ、五月蝿(うるさ)く注意する神官や、大人の天使が居ないので楽しく遊べたものだった。だが、あの日の事を私は一生忘れる事は無い。

 千百年前の、十二月四日。あの時、私はまだ七百二十六歳だった。

 今日も、「僕」は朝の八時に起きた。僕は、三百歳まではクロムさんの家で、それからはハルメス兄ちゃんと共に暮らしている。兄ちゃんも、僕と同じ孤児で、二千五百四十七歳。天界で、親が解らない孤児は僕達二人だけなんだ。

 兄ちゃんの髪は、珍しい「銀色」。天使は年老いたら「灰色」になるけど、兄ちゃんの色はそれとは違う。僕と同じで、変わった色の髪を持つ兄ちゃん。それだけじゃない。兄ちゃんは、凄い力を持っていて、四間巡りの測定装置全てで、測定限界値を出すんだ。僕も、他の天使よりも凄い値が出るから、兄ちゃんの事は、本当の兄ちゃんだと思ってる。それに、勉強も天界でトップだから尊敬している。

「ルナッ!」

 部屋の外で、二年前から友達になった、ジュディアの声が聞こえる。

「一緒に遊ぼ!」

「今行くよ!」

「気を付けて遊んで来いよ」

 ハルメス兄ちゃんの声を背に外に出ると、顔一杯の笑顔のジュディアがいた。ジュディアのお父さんは、命を司る間の司官、お母さんは神術を司る間の司官らしい。彼女は「えりーと」って皆に言われていて、本人はそれを気にしてる。でも僕にはそんな事は関係無い。ジュディアは、僕の初めての友達だから。

 神殿の南に五百m行った所には、「遊び場の森」がある。僕達がいつも通り其処で遊んでいると、突然意地悪そうな男の子に声をかけられた。

「何だ、お前男のくせに、女と遊んでやがるのか! ノレッジ、どう思う?」

「ハハハッ! 可笑(おか)しいですよ、セルファス君!」

 年の割にちょっと大柄な男の子、そしてそれに付き添う眼鏡をかけた細身の男の子。

「何よっ! 私がルナと遊ぶのが、そんなにいけない事なの?」

 ジュディアが僕を守ろうと、強気に二人の前に立ち塞がる。

「お前も女なら、他の女の子と遊べよ! 俺は後ろの男に用があるんだ。どけ!」

 セルファスっていう男の子が乱暴に、ジュディアを手で押しのけた。

「キャッ! ルナ、逃げて!」

 押しのけられて転んだジュディアが、僕を逃がそうと叫ぶ。でも、僕は何もしていないジュディアが、傷付けられるのが許せなかった。

「喧嘩は止めて仲良くしようよ!」

 僕が叫んだのにも関わらず、僕はセルファスとノレッジに囲まれた。

「男のくせに、だらしない事ばかり言いやがって! その根性叩きなおしてやるぜ!」

 そう叫んで、二人は僕に殴りかかった。でも……

「僕はみんなと仲良くしたいんだよ!」

 僕は二人の拳を指一本ずつで止めた。僕には、皆と違って凄い力がある。それで、みんな僕を恐がって友達になってくれないんだ……

 ジュディアは親を、僕は僕の力を恐れられて、ずっと一人ぼっちだった。きっと、この二人も僕を怖がるだろう。ところが……

「お前、強いな! 友達になろうぜ!」

「セルファス君! まぁ……、セルファス君が言うんなら友達になりましょう」

「えっ、うん! 友達になろう。でも、その前にジュディアに謝ってからだよ」

 この後、二人はジュディアに何度も謝った。それで、僕達は仲良しになったんだ。

 勿論その事は、ハルメス兄ちゃんが学校から帰ってきてすぐ伝えたよ。

「ハルメス兄ちゃん、僕今日友達が二人も増えたんだ!」

「おお、ルナ! それは良かったなぁ!」

 兄ちゃんも自分の事のように喜んでくれて、僕の頭を撫でてくれた。

「兄ちゃん、学校は大変なの?」

 僕は、いつもより疲れた表情の兄ちゃん見て、そう訊(き)いた。

「そうだなぁ、勉強は難しくないんだけど。やっぱり、自由を奪う教えは間違ってると思うんだ」

 兄ちゃんは、いつもの通り僕に自由の在り方について教えてくれた。僕はそんな兄ちゃんの考え方が好きだ。話し終えた兄ちゃんは、ふと真剣な顔をした。いつもの優しい顔とは違った、迷いの無い顔。僕は思わず、背筋をピンと伸ばした。

「ルナ、この本と時計をお前にやるよ」

 本の表紙には、「自由と存在」と書かれていた。兄ちゃんの書いた本。それに、大事に使っていた懐中時計。

「えっ、突然どうしたの?」

「……友達が増えた祝いだよ。そうそう、今から俺は出掛けるから、留守番を頼むぜ」

 兄ちゃんの顔に、笑みが浮かんでいないのが気になったけど、僕は素直に喜ぶ。

「ありがとう、兄ちゃん! 一生大事にする!」

 兄ちゃんが出て行った後、僕は眠ろうとしたけど、友達が出来た嬉しさと、遅くまで帰って来ない兄ちゃんへの心配で眠れなかった。

 懐中時計が、十一時を指していた。

「コンコン……」

 微かにドアを叩く音がする。僕は、兄ちゃんが帰って来たと思ってドアを開けた。すると其処には、驚いた事にジュディアとセルファスとノレッジが居たんだ。

「しぃー……」

 ジュディアが、口に指を押し当てて黙るよう、僕を促す。僕が頷くと、セルファスが無言で手招きをした。僕達は足音を殺して、神殿の階段を下りる。

 遊び場の森に着いて、ようやくセルファスが口を開いた。

「今日はレッドムーンの日。外には誰もいないから、こんな時間でも遊べるぜ!」

「僕達はまだ学校に通っていないので、見付かっても裁きは受けないですしね!」

 セルファスとノレッジが笑う。ジュディアは胸を押さえて、深呼吸した。

「あぁ、怖かった! でも、夜に出歩くなんて初めてだから新鮮ね!」

「うん、楽しかった!」

 僕は、緊張感で兄ちゃんの事をすっかり忘れてしまっていた。

「ところでセルファス、何をして遊ぶの?」

 ジュディアが、目を爛々(らんらん)と輝かせてセルファスに訊く。

「うーん……。せっかく大人達もいないし、『術比べ』をしようぜ!」

 術比べは、森の外れにある、恐い姿をした「魔」の彫像に、「神術」をぶつける遊びだ。

「でも、僕は『神術』なんて使った事がないよ?」

 僕は首を傾(かし)げる。神術は学校に行って習うものだから、子供は知らない筈なんだけど。

「ルナリート君。神術は、精神力を集中して『結果』をイメージするものなんです。例えば、炎の初級神術である『焦熱』を使う場合は、集中して頭の中に炎を思い浮かべて、それを対象にぶつけるイメージと共に『flame』って術式を描くんです」

 と、ノレッジは得意げに語った。

「ノレッジは物知りだなぁ。そんな事、全然知らなかったよ! 皆は、神術を使えるの?」

「おう! 俺は、初級神術の『落雷』を使えるぜ!」

 セルファスは自信満々で、自分の鼻をこする。

「私は、『氷結』の神術を使えるわよ!」

 ジュディアも使えるんだ! 名前からして、氷の神術だろうな。

「ふふん、僕は『衝撃』と『焦熱』の神術を使えますよ!」

 ノレッジは、嬉しそうに笑みを浮かべながらそう言った。

 その後、術比べが始まった。セルファスの『落雷』は、魔の像から外れて地面に落ちたけど、二十cmぐらい抉(えぐ)れていた。

 ノレッジの「衝撃」は像に命中して、コーンッ、ていう軽い音が鳴った。「焦熱」は、空中に握り拳の半分ぐらいの火の玉が出てきてびっくりしたなぁ。

 その後の、ジュディアの「氷結」。これは芸術的に凄かった! 何せ、高さ二mもある像の全体に均一な薄い氷を張ったんだ! きっとジュディアは、天界で一番の「氷使い」になれるんじゃないかな?

 そして、僕の番がやってきた。生まれて初めて使う神術……。大丈夫かな?

 僕は、頭の中に炎を浮かべてみる。すると、何だか不思議な感覚に襲われたんだ。その炎は、初めは蝋燭(ろうそく)の火ぐらいの大きさだったのに、目の前まで真っ赤になるくらいの凄い炎になった。その後、像にぶつけるイメージを作ると、勝手に術式が浮かんできたんだ。

「deadly flame」

 その式が浮かんだ瞬間だった!

「ゴォォ……!」

 大人の天使よりも大きな火の渦が、魔の像に直撃する!

「ルナ! それは、高等神術の『滅炎(めつえん)』よ!」

 みんな驚いて黙ってた。何で僕は、いつもこうなんだろう? もっと、普通の天使に生まれたかったな……。僕が涙を浮かべていると、ジュディアが声を上げた。

「もう、ちょっとルナが凄かったからって! 私だって、もう少し大人になったら高等神術ぐらい使うんだから! ううん、究極神術だって覚えて見せる」

 僕の事を思ってかな? それとも、神術で僕に負けたのが悔しかったのかな? どっちか解らないけど、嬉しかった。

「そうですよね! 僕だって、大人になったら神術を極めますよ!」

「私は、ルナにもノレッジにもセルファスにも負けないもん!」

 その後、僕達はかくれんぼをして、朝陽の昇る前、外が真っ暗な内に帰った。皆と別れて、僕は自分の部屋の扉を開けようとすると、上の階から大きな声が聞こえてきたんだ。此処は特待生宿舎で四階。五階は、神官と四間の司官の部屋の筈だけど……

「ですから……、なのです!」

 ハルメス兄ちゃんの声だった! 誰かと言い争ってる。僕は息を殺して、階段を上がる。

「成績が最優秀な貴方が戯(ざれ)言(ごと)を……。『神の教え』が気に入らないと言うのですか?」

 もう一つの声は、神官ハーツ様! こんな時間にどうしたんだろう?

「私は、神の存在を否定しているのではありません! 自由を奪い、思想の画一化を推し進める、『貴方が作った教え』が間違っていると言っているんです!」

 兄ちゃんは、神官に反抗している! 神官は一番偉くて、逆らっちゃ駄目なのに。

「いい度胸ですねぇ。私に其処まで歯向かうとは。そうです、あの教えは『全て』私が作ったもの。迷える愚民を統制するには、自由を無くし、厳格な掟に従わせるしか無いのです。しかし……、この事実を知った貴方が、どうなるかは解っていますね? 精々(せいぜい)、余生を楽しむ事だ」

 不気味な笑い声を上げ、神官は去っていった。

 神官の言葉の意味を、半分も理解出来ていない僕は、直ぐに青褪(あおざ)めた顔の兄ちゃんの元に泣きながら駆け寄る!

「兄ちゃん! どうしたの?」

「ルナ、最後にお前に会えて良かった! 俺は、居なくなる。多分、帰っては来れない」

「何処にも行かないでよ、僕には兄ちゃんが必要なんだ! お願いだよぉぉ……」

 僕は、必死で兄ちゃんに抱き付く。兄ちゃんは僕の頭を撫で、ゆっくりと言い聞かせるように、話し始めた。

「よく聞け、ルナ。俺は明日からもう居ない。でも、俺はちっとも悲しくない。それはルナ、お前が居るからだ。お前は賢く、真実を理解出来る。だからお前が、いずれこの世界を変えてくれる事を俺は信じてる」

「やだよ! 兄ちゃん、兄ちゃぁん……」

 ハルメス兄ちゃんは、泣いていた。僕が見た、兄ちゃんの最初で最後の涙。

「ルナ。俺は……、お前を『本当の弟』だと思ってる。後はお前に任せるからな……」

 それが、僕の聞いたハルメス兄ちゃんの最後の声だった……

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第七節